うろぼろす
自己分析のためのおそらく有益な補助線として、坂口安吾という男をダシにつかう。彼を辿りながら、私自身を俯瞰しようとする。あくまでダシだ。取ったら棄てよう。
事、ことばに向き合えば、私はいつだって自分本位で生きてやる。
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親友の長島萃は、脳炎で譫言を言いながら縡切れた。
親友の河田誠一は、肋膜を患って急死した。
師の牧野信一は、納戸で首を縊った。
快活な姪は、結核が快癒した後に堀に身を投げた。
別の姪は、カリエスで身体中に穴をこしらえて死んだ。
恋焦がれた矢田津世子は、知らぬ間に結核で世を去っていた。
空襲のなかを、そして大戦のどさくさを生きた。
戦後。織田作之助は、ルパンの直後に喀血して畢った。
太宰治は、玉川上水で溺れ死んだ。
改めて資料を調べたわけではない。すべて彼自身が著作に残している。
彼は生き延びた。
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デビューから昭和23年までの安吾のそこかしこに、私は驚くほど明晰な理性と率直な自己言及を見出す。これは心底、驚くべきものだ。
これを一口に才能と言い切ってしまえば、その慢心により、彼の見たものを見逃してしまうことになる。(参考までに、私は『日本文化私観』と『石の思ひ』の2作を挙げておきたい。)
修羅のただ中でこのような理性と洞察を保つのに、安吾はヒロポンやゼドリンで神経を奮い立たせ、アドルムで己を強制的に仮死させた。否、この理性と洞察の側が、安吾という平凡な肉体に、致命的な費消を強いた。
率直なところ、強制入院(昭和24年)以降の安吾――いわゆる巷談師の安吾――の作品に、私にはそれがあまりに辛いのだろう、どうしてもうまく向き合うことができない。
その頃に集中する彼の奇行の数々は、決して作家・坂口安吾の本質ではない。むしろか細い神経と偉大な魂との、極端なアンバランスのひとつの帰結だ。
いかなる人間も、彼が人間である限り、魂に神経をフィットさせるような奇特な芸当はできまい。
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マルクシズムの最盛期に、唐突に仏門を叩く程度には、彼は《命》に安直で簡便な意味とことばを見出すような作家ではない。
ではあっても、だからこそ、安吾は(次々と先に去ってゆく)《命》を凝視し、それを執拗に描かずにはいられない。描きながら《命》を値踏みする。《命》そのものの目方を計る。実証主義者がデータを蓄積するように。
家柄も才能も人徳も名声も、死なばそれまで。
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昭和15年、安吾は『イノチガケ』で切支丹の布教と殉教を記す。「前篇」には以下のような描写が続く。
その執筆への精密な動機は分からない。だが、この国、いやこの世界には、しばしば起こす mass hysteria という現象が確かにあり、その折に《命》の値は暴落する。もちろん我々はレミングではないから、ただ死ぬのではない。その集団発狂には、たいてい『大義』という導火線が仕掛けられている。神、主義、国、故郷……。
当人たちの決意や思いや悔恨や心残りや、そのようなものとはまた別に、蚊帳の外から見た彼らは、まるで、嬉々として箇条書きの一行になるかのように、己の命を投げ売る。
安吾は作中でしばしば、自分は決して死なぬのだ、必ず生きる、と決意を述べる。ティーンエイジャーではないのだから、よもや本気で自らの不死を信じたのではあるまい。
確かにこの決意は、彼の『堕落論』そのものだ。ではあるのだが、やはりどこか奇異に感じてしまうのは、織田や太宰や田中英光らがまるで死にたがったかのように次々に死ぬ、このまさに同時代に宣言するからなのかもしれぬ。
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やや突飛な疑問だが、安吾はなぜ生き抜いたのか。
彼が生きたく、生きねばならないその世界には、果たして生きるに値する何かがあった/あるだろうか。
安吾はそれを『仕事』と呼ぶ。むろん、彼の仕事は書くことだ。
しかし、何を書くのか。彼は彼の作品を書いた。到底、坂口安吾にしか書けない作品群がある。そんなことは当たり前だ。
しかし、坂口安吾は、何を書いたのか。
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――作家(ここでは安吾)は、何を書くのか
――作家(ここでは安吾)は、何を書いたのか
このとぼけたような堂々巡りの問いかけの中にこそ、私(某しりん)が何をしようと何をしまいと、如何にあろうと如何にあるまいと、捻くれたまま決して充たされない『欠缺』があるようだ。
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よしきた、ようやく私へと離陸だ。
***
私にとって、書くことは思考の後追いではないと、私は常々感じている。
思う、から、書く、という順序を、どうにも上手く辿ることができないのだ。
思考 thinking/thought は、ひとつの独立した営みであり、それは書くこと writing ではなく、行動 action へと連結している。
ならば、書くこと writing はどこに繋がっているのか。
どこにも繋がらない。
――書くとは、書くことである。
――書く動機は、書くことへの欲求である。
――書く目的は、より先へ/より強く/より正しく書くことである。
――書くことにより、書くことを指向する。
私の泉は、この肉体の鎧の内側どこかに潜んでいる。
このような感じだろう:
アパートのどこかで水道を使う音がする、その事は確かだ。だが一体、どの部屋で、誰が、何のために使っているのか。私がもしその探索を必要と認めるならば、耳を澄まそう、音の方向をさぐろう、なんなら見当をつけた部屋の前で聞き耳も立てよう。
やや誇張する。
私は書くときに、ダウジングの振り子を己に向け、狩りの最中のように感覚を研ぎ澄まして、構えている。
ことばを待つ。
『何の』ことばを待つのか。
私にいま必要なことばを待つのだ。
だから、私が書いたものは、いつも私にとっての未知/異物である。
思考は、そこに並べられた文字群を後追いする。そして、まるで我が事のように咀嚼する。
私が私を、糧にする。
*
体感的に、書けなくなるとは、私が私を食い尽くしたときだ。
もはやそれまで。ぴっぴー。
私はさくっと筆を擱き、しばらくは 思考→行動 を事とする私の肉体サイドの方に生きてもらう。
もっともこいつは真性の平凡(あるいはそれ以下)であるから、大した糧食を拾ってはこない。ぽつ、ぽつ、とことばの欠片を持って帰ってくる。
ある瞬間、また勝手に文字が連ねられてゆく。
何かがその火種になったのかもしれないが、委細に頓着なく、手は動いてゆく。
身体サイドの事情は知ったことではない。たとえば、気づけば無かったはずの菓子パン4個を食べていたりする。(これは昨日のことだ。)
問 ―何を書くのか。
答 ――それは知らん。
問―何を書いたのか。
答――書かれたものを書いたのであろうよ。
*
慣れ親しんだこの愉悦は格別であるし、この不快は格別である。
私が私の作物を待ちわびている。お人好しの私は、私を充たすために私を搾取する。
*
だが、思えば至って普通のことではないだろうか。
画家は絵のために絵を描こう。
音楽家は音楽のために音楽を創り、奏でよう。
なぜ、ひとり物書きのみが、ことばのためにことばを紡がぬことがあるだろうか。
意味が必要だろうか。
思考が、筋書きが、喝采が、社会的意図が必要だろうか。
*
ともかく私にとっては、私のことばは『ひまわり』のように魅惑的であるし、『モルダウ』のように懐かしくもある。
この美と nostalgia の reproduction のために、平凡なウロボロスはしぶとく生きねばならない。
*
だが、と。
私は何一つ充たされてなどいないことを、砂々と噛みしめる。
書くとは、本当にこれだけのことなのだろうか。
力の不足なのだろうか、それとも真っ赤な見当違いなのだろうか。
だが。
私はあす、生きて何を書くのだろう。
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安吾さん、どうもありがとうございます。
書きながら、あなたの文章をいくつも思い、あなたの『体質』もかなりの程度まで理解したように思います。
本質的には、言わば《憑依型》の書き手であるあなたが、30年近くも商業作家を務めたこと、考えてみれば、そちらの方が遥かに脅威でした。
間違いなくあなたの命を縮めたヒロポンと眠剤の濫用、あなたは後悔するかしら、それとも。
さらに余談でごめんなさい。
身近な死を厭う心持ちと、概念の死を恐れる気持ちは、似ているようで正反対なのかもしれないですね。
あなたが大戦末期に筋トレと遠泳に励んだお話、げらげら笑いながら何度も読みます。
いかなウロボロスも身体が資本ですものね。身につまされる。
それでは、今日は失礼します。
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