ベース上には満面の笑顔

ぼくは、やきゅうに置き換えると思考が動き始める体質のようだ。贔屓の球団は惨憺たる状態ですが、よい季節になりました。

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やきゅうには、プレイヤーの「価値」を数値化するための様々な指標がある。

①『安打数』『本塁打数』『打点数』『盗塁数』のように、143試合のパフォーマンスの総計を表すもの
②『打率』『出塁率』『長打率』『盗塁成功率』のように、(成功数÷総企図数)で確実性を表すもの
*OPS とか XR だとか、最近流行っている「セイバーメトリクス」も、大まかには②のカテゴリに分類されます
③『得点圏打率』『得点数』のように、特定の場面におけるパフォーマンスを表したもの

だいぶ前から、①を《絶対数評価》、②を《相対数評価》、③を《特殊評価》と(頭の中で勝手に)呼んでいます。

言わずもがな、「大選手」と呼ばれる面々は、①~③のすべてにおいて高い数値を残しています。彼らは大選手なので、ぼくの自己評価軸とは、なんの接点も持ちません。

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この沈黙の数ヶ月、ぼくはぼく自身が、この《世界スタジアム》でどのようなプレイヤーであった(一度死んだので、過去形を使う資格が手に入りました)か、よすがもないまま、いろいろに思っていた。静かな思索でした。

紛うことなき一流であった自分と、半ば干された自分の間に、折り合いをつける営みは、引退によって Wikipedia の【詳細情報】→【年度別打撃成績】の項からは免除されるやきゅう選手のそれとは違い、なかなかシビアなものです。

しかし、シビアだと感じるその一点は、僕が『名前』という不変の identity を(おそらくは人より重く仰々しく)背負い込む、その体質に起因するのです。ならば、「一流であった自分」と、「半ば干された自分」との間の連続性・粘性を、やや強引にであれ、断ち切ること、ぶった斬ること、それにより、
ふたりの異なる世界プレイヤー
という、比較の意味そのものがぼやける位相に、ぼく(『ぼくA』と『ぼくB』)を置くことができる。

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今思えば、若い頃にぼくが憧れ目指す人物は、揃いも揃って、「大選手」でした。人生航路のどこかで、自分はその器ではないと悟れば、傷は浅く、より resilient であったのだろうが、折々の破綻を見せながら、何度もそのフィールドで、首位打者や最多打点やMVPを取らせてもらったことで、「折々の破綻」にこそ問題の本質が潜んでいると気付かぬまま、突然、ある日、両脚アキレス腱断絶と椎間板ヘルニアと両肩亜脱臼を併発したようなものだ。

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プレイヤーとして必要な physical strength をまるまる失った日、それは誰にも起こりうることで、その日をいかにして、次のステージへのソフト・ランディングに繋げるか、

だが、ぼくAの絶望は、ぼくBにもよく分かる。だって、ぼくの見てきた人生の縮図は、一流のやきゅう選手のものだったのだから。
『引退』というエポックを持ち、『次のステージ』には「やきゃう解説者」やら「やきゅう指導者」やら「監督」やら、既定の複数の選択肢がある人々のマップは、予備校講師の第二の人生など考えたこともないまま、不可避に「ぼくB」を宣告されたぼくには、ほぼ無意味なデータであったはずだ。

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「お疲れさま。長年、『ぼくA』として頑張ってきましたね。一息ついて、今度はよい『ぼくB』になれるよう、ゆっくり精進してゆきましょう」

そんな声を掛けてくれる一人をも持たず、ぼくはただ、「社会不適合者」であってきました。
身近な誰から、労いのことばひとつ掛けられるでもなく、壊れたぼくは、ただ責められ、疎まれ、扱いづらい穀潰しでしかなかった。周囲から見れば、「ぼくA」は、「稼がず就活もうまく行かず気難しく融通の利かないぼくA」に《劣化》した、それだけだった。

そのような針のむしろの中、自律神経失調症もうつ病もパニック障害も、薬で無理やり抑え込み、見ない振りをして、何度も何度も、「ぼくA」を生きようとし、「ぼくA」であるしか、ぼくである在り方を許容しようとはしなかった周囲を騙そうとした。
そして、それは無理なのだ、と宣言するのに、延べ6年も苦しんだ。とてつもない苦しさでした。

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やきゅうの話に戻るのに苦労しました。

率と向き合うことは、ものすごく大変です。慣れていても、恐ろしく『非人間的な』日々です。

ヒットを打つことは、本来、とても楽しく達成感に満ちたことです。この季節、「ルーキー、初ヒット!」を見る機会がよくありますね。一塁上の若者の、その安堵に溢れる笑顔を、ぼくは YouTube でしばし眺めます。ここから、どれだけ遠い彼方に、ぼくが佇んでいたことか!

それがある時、「打率.333」を目標に打席に入る/入らされる日々に変わります。成績がすべての世界で、スタメンであり続けたい彼は、毎日3打数1安打のペースを保たなければならなくなり、1本目を打ったら打ったで、明日打てなかったら……と悲観ばかりが頭を占め、2本目、3本目…… どこにも達成感の入る余地はないでしょう。

誰が清原和博を笑えるだろう?

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ぼくは、それを、15年間生きてきた。

生徒満足率、などという、打率ほども客観性のない②指標を、15年間、数百人の全講師中1位に収めてきた。他の講師が、打倒しりんで、ただただ笑わせ面白おかしい授業をして、媚びの数字を残してきても、何一つ媚びず、叱り、怒鳴り、そして、数字を残した。

毎年真似をされ、盗まれる中で、1番であり続けることが、どれだけ大変なことかを、せめて周囲の人にだけでも語ればよかったのだ。自慢になるのが嫌で、苦労話をするのが性に合わなくて、何もかもを「天才だから、天職だから」の冗談で済ませて、誰よりも努力したんだよ。

壊れたら、はい、終わり。

ふざけんなよ。

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ぼくBは、絶対に、②の指標など見ない。人生何回分も、ぼくは闘ってきた。

ひとつのヒットを、塁上で、喜びうる限り、喜びを噛み締める、それ以外に、残りのぼくに、やりたいことはないのだ。

今日も YouTube で、初々しい塁上のハイタッチを、じっと眺める、そんなぼくB です。

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