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はじめまして、ただいま

どこの家に帰っても「おかえり」と迎えられる夢を見た。
会社で疲れ切った帰り道、宿を選ぶようにその住宅街を歩いているとなぜか「ああ、今日はここか」と得心して自然と帰宅する。

明確に出迎えてくれることもあれば、自分で気がついて扉を開いて入っていくこともある。

そこで顔をひとりひとりはっきりと覚えているわけではない。というよりその夢の始終、登場人物には明確な顔や固有名のようなものはなく、ただここが自分の家であるとわかっているだけだ。

「おかえりなさい。ご飯できてるわよ」とほとんど自分と同年代の女性にそう言われると、自分も息子になった気分でテーブルに着いて晩御飯を食べる。また友人と呼んだ方がしっくりくる同年の男性が出迎えてくれることもある。とにかくそこで自分は無防備に多少いつもよりわがままで安心しきっている。そこでは時に48歳の自分より年下の夫婦が自分の両親であることもあった。兄弟という存在がいたことはない。

そんな夢を仕切りに見ていた折、来年から東北の関連会社へ出向を命じられた。自分でいうのもなんだが、ある程度業界の知識があり家族を持っていない自分は会社にとっては重宝すべき存在だろう。
使いやすいと行った方が適切か。
かつては妻がいた、子供は持たなかった。両親は

結局はどの町に住んでいてもひとりなのだ。若い時も孤独だったが、それは期限付きの孤独だった。今のはこの先も続くだろうという予感の伴う孤独だった。

「出向は来月からお願いしたい」とふたつ年下の上司から告げられた。彼も年上の部下が自分の参加を離れてほっとしているに違いない。「いらっしゃらない間、職場がちゃんと回るか心配ですよ」と残念がってくれるその口調も、いつもより緊張が解け多少上機嫌で軽やかな気がしたのは、私の歪みのせいだろうか。
***
夏の長期連休中にその地に赴任したのだが、街並みを見て驚いた。
夢で見た風景にとても近いと思った。もちろん鏡写しのように同じ街並みが並んでいるわけではないのだが、全体の印象というか居心地に近いものを感じだ。

もしかすると、打ち解けない知り合いが多いよりは、いっそ誰も知らない街の方が落ち着くのかもしれなかった。空気を思い切り吸い込んだ。地元をそんなに愛しているわけではないが、懐かしいと形容するのがぴったりな香りが肺を満たす。

目的の社員寮に向かう。その途中にどんなに惹きつけられても、ふらっと民家に入るわけにはいかない。ここは現実の世界で、私はただの出向者としてこの町にお邪魔しているにすぎない。

できることはまたあの安らぐ夢を見ることを願うことだけだった。

連休明けから仕事が始まる。寝床になる家を目指しながら、柔らかい空気が肌を伝って染み込んでいる気がした。
「はじめまして、ただいま」
初対面のその街にひとり挨拶した私は、自分の中に少しだけ前向きな気持ちを発見した。

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