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朝の雨音

休日に家でゴロゴロ本を読んでいる。
雨の日だと普段とやっていることは同じなのに、罪悪感が薄くなるから不思議だ。

晴耕雨読

四字熟語が頭に浮かんで、
「雨の日には本を読みましょう」
と大義名分をもらった気分になる。

長年使っているマットレスに寝転んでいる。
床にある漫画や小説、今は部屋着になったかつては出かけるために着ていた服、2Lのペットボトルの水、埃を被ったギター、途中までやった英語の参考書、しばらく電源を入れてないオーディオ、小さい机と座り心地の悪い椅子、半分ほど入っている調味料たち。
自分では気に入っているこの部屋も、晴れの日には少し居心地が変わってしまう。
「せっかくの晴れの休みにいるべきじゃない場所だ」
と誰かに言われそうで。

いや、誰かじゃなくて、ある女性にだろう。

昔の彼女に「もう知らない、知らないって言ってる年じゃないでしょ」と文句を言われたことがある。

その女性とは本当に偶然のように付き合い始めた。いろんな幸運(というべきだろうか)が重なった。たまたま同席した食事の席で、お酒も入って自分は流暢に話していた。彼女から見てもさぞ社交的に見えただろうし、後から聞いてもそういう人がタイプだったようで、

僕方でも彼女のことを優しい落ち着いた女性だと思っていた。
実際には大人数の中で悪目立ちしないように空気を読んでいただけで、気の許す相手にはわがままをぶつけたり、自分の意見を頑として変えないようなところもある。

僕の社交性と、彼女の優しさと、お互い抱いた勘違いに気がつくのにそう時間は掛からなかった。付き合って3ヶ月くらいですぐに別れた。
そして晴れの日に家にいるのが落ち着かない現象は、多分彼女が原因だ。

ある日、二人でどこか食事に出かけようとしたとき。僕はスマホを取り出し慌てて周辺のお店を調べていた。その姿を見て彼女に「行きつけのお店のひとつやふたつないの?」と叱責されたのだ。

そして話はどんどん飛躍していき「私と会ってない時は、普段何してるの?」と言われ、「部屋で本を読んでいる」と答える。彼女の眉間の皺が濃くなるのがはっきり見てとれた。

そして過去にどんなところに旅をしたのか聞かれた。
「あまり旅は好きじゃない」と答えると、信じられないといったような表情で、世界の観光名所を列挙する。どれもピンとこない僕の反応がえらく不服そうだった。僕も言わなければいいのに、「海外旅行にいったこともない」と付け加えると、彼女の口から大きなため息が漏れた。

そもそも考え方に埋め難い相違があった。
元々付き合うべきではなかったのだ。

それからというもの、彼女とは別れたにも関わらず、本を読む時に罪悪感を感じていた。
「そんなことしてていいの?だから何にも知らないままなんじゃない?」ともう別れた彼女の言葉が脳内で再生される。

女性と付き合った数が少ない自分はそれを世の中の総意のように受け止め、自分の選択は今後いろんな人に否定されるのではと怯えていた。
少しずつそんなことは思わなくてもいいんだと自信を回復している今日この頃だが、今でもたまに雨の力を借りることがある。

どうだっていいじゃないか、自分の人生だ。
と自信が持ちきれていない自分がいるのも確かだ。

だから雨が激しく降れば降るほど、嬉しい気持ちになる。雨が地面を強く叩く音も好きだし、車が水たまりを通過していく音や、傘をさして「今日はひどい天気だな」と不機嫌に歩いている人を元気づけてあげたいくらい活力に満ちることもある。

鳥の囀りがするよりも、朝の雨音は僕にとっていい一日への予兆になっている。

今日も午後から雨だった。心強く本の世界へと足を踏み入れる。
ずっとではないけれど、少なくとも今は自分を否定していない。

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