『映画 ○月○日、区長になる女』から伝播する政治意識
『映画 ○月○日、区長になる女』は、杉並区で初の女性区長が誕生した栄光の実録ではなく、一住民たちの団結により、政治意識が伝播することを描いた作品だと感じた。
日本は世界の中でも投票率が低く、政治意識の低い国であると感じる。その日本において、政治意識が伝播する瞬間を映し出したことは現代において重要な意味を持つだろう。
作中で、投票率向上の難しさについて岸本氏と監督が会話する場面が見られる。今回の区長選挙において、当選の有力候補である前区長に岸本氏が勝利するには、新規票を獲得する必要があったからである。この場面を通して、投票場に足を運んでもらうことの難しさを感じさせられる。
そもそも、選挙権とは民主主義を採用する国家において、国民に与えられる重要な権利である。そして、国家を国民が動かすことを体現する権利でもある。そのため、選挙権を放棄することは、国家を自身の思想や考えを反映せずに存在することを肯定することとも言えるのではないのだろうか。その状態で不自由なく生きていけることは、自分自身が特権的であることを自覚する必要があると思う。そのことを胸に留め、政治と向き合う人が増えると良いと個人的には感じている。
そして、政治意識について考えるとき、私は政治への冷笑的な視線について考えることが多い。例えば、都内で開催される政治デモを嘲笑しながら撮影する人をよく目にする。この原因の1つはお笑いの文化によるものではないかと感じる。お笑いは、斜に構えた姿勢やあえて逆の意見を言うことに、かっこよさを感じさせるような一面もあるように感じるからだ。この姿勢を子供の頃からメディア等で植え付けられることにより、冷笑的な視点を持って、物事を見ることが自然と身についてしまった人も多いのではないかと感じる。私自身も幼い頃からテレビ等でバラエティ番組をよく観ており、冷笑的な感覚を自分自身に感じる瞬間もある。自己にこびりついた冷笑的な視点を自覚し、無意識に発動しないよう気をつけていくべきだと感じる。ただ、これはお笑いという文化自体がなくなるべきというわけではない。冷笑的なお笑いから離れて、お笑いを再構築していく必要性があるのではないかと個人的には感じている。
また、本作の特徴的な箇所は岸本氏と事務局員との対立ではないだろうか。岸本氏の意向と事務局員たちの意向が一致せず、口論となる瞬間もあった。岸本氏も語っていたが、事務局員たちは自身の欲望を満たすために岸本氏を区長にしたいと思っているため、岸本氏の意見をなかなか受け入れないように感じていた。この状態に関して監督自身も悩まれている場面が見られたが、この状態は私たちの日常生活でも起こっているように感じる。利用する、利用されるという関係性に関する問題提起は、共同体という認識が薄れてきた現代社会において、とても重要だとも感じた。
最後に、本作に通ずる言葉として、今年の東京大学学部入学式で祝辞を述べた米田あゆさんの言葉にも感銘を受けた。
本作でも、杉並区でのこれまでの市民活動により、多くの人々が動かされ、岸本区長が誕生した。岸本区長の誕生により、女性の区議員も増える結果となった。1人の挑戦だけでは社会は変わらず、後に続くものが現れることによって、社会が大きく変わっていく。本作が公開から3ヶ月ほど経ってもなお、公開を続け、さらに全国での公開が決まっていくムーブメントはその1つであると感じる。1人1人のこの映画への想いが伝播し、社会を変えて行っているようにも感じる。
私自身もこの映画に続き、社会を少しでもより良い方向に変えられるよう、行動していきたい。
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