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himawari

この夏、彼は変わりゆく僕を教えてくれた。

昔から花や自然が好きだった。冬前に球根を植えて春に咲くチューリップが好きだったし、小学校の時1年生を迎えるために植えたアサガオが綺麗に咲いた時の感動は今でも覚えている。それでも夏に元気に咲くひまわりは少し苦手だった。小学校3年生の頃だろうか、理科の授業でひまわりについて勉強をした。太陽の光と共に廻る花、に「四方に向いて花を開いて回る」との意味がある「葵」を使って向日葵と表記されるようになったらしい。何となく苦手だったのは、みんな元気に太陽と一緒に移動する様子がどうも腑に落ちなかったからだ。すくすくと真っ直ぐと光に向かって育つ彼らに嫉妬を覚えたことも1つの理由だろう。その姿勢が僕には眩し過ぎたのだ。いつも花を見た時に覚えていた安らぎや優しさがそこにはなかった。
 そんなひまわりを今年は少し好きになれた夏だった。
大切な人がひまわりと一緒に撮った写真を送ってくれたことがきっかけだろう。送られてきた写真はとても美しく、憧れさえ覚えた。向日葵という名前の友達と出逢えたことも大きな理由かもしれない。どんな出会いも僕にとっては大切な出逢いだ。
 僕は一輪の花を自分のそばに置いているのだが、この夏初めてひまわりを部屋に生けた。慣れない土地で一人暮らしをしていた8月、僕にとって一輪の花は大きな存在だった。一緒に同じ空間を生きているんだという安心感を与えてくれる1つの友達だった。
 一人暮らしを初めて2週間、気疲れしないかという不安を片隅に勇気を出してひまわりを買った。それから2週間毎日彼と過ごしたが、気疲れなど微塵もせず少しの勇気と安らぎを毎日与えて貰った。あの頃感じていたモヤモヤはどこへいったのだろう。一輪だけだったからだろうか。真っ直ぐ光へ向かう人たちを素直に褒められるようになったからだろうか。自分の求める光が見えてきて、自分も彼のように頑張ろうと思えるようになったからだろうか。ともかく幼かったあの頃から僕が変わったことだけは間違いない。
 あのバンドは光れ光れと何度も歌っている。まだ自ら光ることなんで出来ないけど、少しづつ自分の中で光は見えてきたと思う。心に灯した火を枯らさないように、いつか夢見たあの日に向かって真っ直ぐ進んでいきたい。いつか光ることができるように。

彼を大好きと言える頃、僕はまた変わっているのだろう。来年の夏、彼と、彼らと再開するのが楽しみだ。



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