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人生で初めてレギュラーになった独立リーガーのお話 小学生~中学生編

 2021年シーズン開幕戦の5月1日、試合前にメンバー表を覗くと自分の名前が書かれている。
「9番 ショート 正木蓮」なんとも言えない不思議な感覚だった。
自分の名前があるという安堵の気持ち、美唄に駆け付けてくださったファンの方々の前でプレーできるという嬉しさ、それらを飲み込んでしまうほどの自分自身のプレーに対する不安から来る緊張感。いろいろな感情が入り混じっていた。

このような様々な感情を抱いたことには理由がある。チームにとって大切な開幕戦であるということや、独立リーグの選手としてプレーする初めての試合であること多くの要素はあるがそれ以上に

野球歴11年目で初めてスタメンとして公式戦に出場する

という個人的には快挙ともいえる事態が起こっていることである。

厳密にいうと全く初めてではないが、小学生の時の最後の6年生のみで出場した大会と中学2年の秋の区大会で2試合(ちなみに、中学1,2年は学校の野球部、3年からボーイズに移籍したが、その話は後ほど)であるがいずれの試合も最後まで試合に出続けていた記憶はない。

結果この試合で人生初の公式戦フル出場、しかも延長戦からの勝ち越しのホームを踏むというおまけ付き!!

ここまで言えば皆さんお気づきだと思いますが、私は

小学生の時から一度もレギュラーになれることなく独立リーグに足を踏み入れてしまったのです。

題名でも言ってます。すいません。


という前置きはここまでにさせていただいて、、、

富良野ブルーリッジの正木蓮がどのようにしてHBLに流れ着いたのか

そして今シーズンどのような心境の変化をしながらプレーをしたのか

何回かの投稿に分けてお話していきたいと思います。
これらの投稿を通して少しでも正木を知っていただければと思います。

読みにくい部分も多々あると思いますができるだけ読みやすくまとめるつもりでいるので最後まで読んでいただけたら嬉しいです!

正木、野球始めました

そもそも野球を始めたきっかけは父親の影響だった。家のテレビでも野球がついていたり、父親の草野球について行ったりと幼いころから野球が好きだったが、母親にからのOKがなかなか出ず、ようやく始めたのは小学校5年生だった。

当時から体の線が細く身長も小さい、さらには足も遅くスポーツは好きだけど基本へたくそという小学生の中ではモテない要素しかないような子だったので野球なんて 飛ばない 走れない 投げれない 三拍子揃っちゃってる今考えたら絶望的な野球人生の始まりだったなーと思う。。

加えて入団したチームが地元の横浜市内ではそこそこ強いチームだった。

まぁ、言わなくてもいいですよね。お察しの通りです。

ただ一つ、自分の野球人生を話すうえで自慢できること。
それは、この小学生の時から監督・コーチの方々には本当に恵まれていた。

小学校、ボーイズ、高校、クラブチーム、そして現在のブルーリッジ

本当にいい指導者の方々に恵まれたなーと心から思う。

えーと、、、お気づきの方いらっしゃるでしょうか。

中学校に入学後、僕は迷わず野球部に入部するのですが中学3年になる直前のタイミングで神奈川ボーイズというチームに移籍することになりますが

細かいことは次の章でお話しします。

正木、部活やめるってよ

中学生って成長期真っただ中ということもあり一年生と三年生では小学生が中学生に混ざってるくらい体格差があった。
(中1から高3までで30センチ以上伸びました。秘訣は睡眠と豆乳だと思ってます)
その中でも小さい僕は特に差が大きく、野球自体がそんなに上手ではないのでそれはもう試合に出れることもなく一年間が過ぎていく。

しかし体格差以上の壁が僕に立ちはだかった。

「塁間、、遠くね???」

中学生の時からマウンドも塁間も大人と変わらない距離になるので、当時からの運動神経ゼロの弱肩・弱打・鈍足内野手では手も足も出ない

そんな現実に直面した僕はこの時からあることを思いつく。

ダブルプレーとれるようになろう!!

肩も弱く守備範囲も広くない内野手として何を身につければよいか、そう考えた結論でした。

そしてゲッツーを練習しようと考えた理由はもう一つ
当時ショートには小学生のころから同じチームでショートを守り続けていたキャプテンがおり、そいつと二遊間組みたいという願望もあったのです。

そして自分たちの代がやってきます。
秋の大会では出番はあったが活躍はできなかったものの、高校野球も見据えていた僕はやる気に満ちていました。

しかし、忘れがたい事件が起こるのです

当時1個下の後輩に足も速くバッティングもいい外野手の後輩がおり、その子が僕のポジションであるセカンドを守り始めました。

後輩が自分のポジションに来た焦りと今のままでは高校でも試合に出れないという焦りが出始めたころ、当時の自分にとって衝撃的な一言を顧問の先生から言われます。

「あいつにセカンド教えてあげてほしい」

当時の僕は本当に頭が真っ白になっていて細かいことまでは覚えていないのですが、自分にとってそれは「もうお前は使わないから」といわれているようでした。

そんな時2個下の弟が神奈川ボーイズの練習会に体験に行く。ということを知り、当時の焦りと絶望に駆られていた僕はなぜか

俺も行くしかない

という謎の使命感(笑)の赴くままに弟に同行した。

そこで出会った選手たちとコーチに衝撃を受けることになる。

まず、動きが違う。見てすぐにわかる。 
スイングも強い、肩も強い、練習していたゲッツーすらレベルの差を感じる

さらに、初めて内野ゴロの捕球に必要なタメであったり、グローブの使い方をコーチに教わることになり、その時にはもう心に決まっていました。

「どっちにいても試合に出れずに終わるなら成長できる所に行こう!」

こうして僕は部活をやめ、2個下の弟とともに中3でボーイズに入団することになる。 
(やめると伝えたときも色々ありましたが割愛させていただきます。気になる人は直接正木に聞いてみてください)

正木、高校決める

3年のタイミングで弟と入団してくる奴がいるらしいよww

きっとそんな感じで言われていただろうなーと思う。(被害妄想)

実際に言われたわけでもないし、みんな優しく接してくれていたので特に嫌なことは何もなかった。
ただ、僕自身が人見知りなこともあり一人で練習していることがたびたびあった。

そんな僕に転機が訪れる。

ある高校からチームの代表に連絡が入る。
「来年から野球に力を入れたい。下手でもいいからまじめな子が欲しい」
後から聞いた内容なのだが、そんな感じだった。らしい。

そこで白羽の矢が立ったのが一人で黙々と練習していた正木少年(人見知りなだけ)だった。らしい。

正直このあたりの話は大人のお話なので知る由もない。
僕は「高校の練習会行くか?」という問いに「はい」と答えた。

ただ正直この時点で絶対この高校に行こうと心に決めていた

部活の顧問を見返してやる。とその一心だった。

そんな心境で高校の練習会に参加する

その高校が高校3年間を過ごした「アレセイア湘南高校」でした。

こうして正木はこの練習会を経て無事高校に入学することになる。

最後に

恐らくこれをTwitterに載せてるのはオールスターの前日かな?と思います。

感謝祭の時にはいろいろな選手、ファンの方とお話できる機会があると思うので感想聞かせてくれたら嬉しいです!
(ダメ出しも大歓迎ですが優しくお願いします。ドキドキしながら書いてるので強く言われたら感謝祭どころじゃなくなります。)
自分自身はエキシビションマッチでの出場になりますが応援よろしくお願いいします!

続きの

人生で初めてレギュラーになった独立リーガーのお話 
高校生~クラブチーム編

人生で初めてレギュラーになった独立リーガーのお話
HBL2021編 という名の今シーズンの振り返り

は10月に帰省した後にバイトとトレーニングの合間に書こうかなーと思います。

では、今回はここまでで失礼いたします。

読んでいただきありがとうございました!!























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