時代に舞う


最近思うのはこれだけ趣味が細分化され様々なコンテンツが溢れる中で、表現者としてどう言うスタンスでこの時代の流れと向き合うか、と言うことを考えます。


特に私なんかはインターネットが幼少期無かった時代の世代なもんですから。この激動の時代は二分化されると思うわけです。


一つは「あんなもの何が面白いんだ?」とシャットダウンしてしまうタイプ。


これはこれで頑固な職人気質であり、貫けばそれはそれでカッコいい生き方だと思います。(しかし今、この考えはある程度の成功を過去に手にした人ができることなのかも知れません。)


二つ目は、「あんなに流行っているんだから何か理由があるに違いない」

と分析して研究するタイプ。


一見、時代の流れに迎合しているだけのように見え、古くからの価値観で生きている人間からはあまり良い印象を与えないかも知れません。

しかしこの2つの中間層と言うのが多いような気がして、バランスを取ってうまくやれる器用な人もいますが、どっちつかずになって結局どちらも行けないような、そんな気がしています。


まずはやってチャレンジしてみてから、決めてみる。ダメだったらまた戻れば良い、くらいな軽い気持ちで色んなコンテンツなり、表現手段なりに手を出してみた方が良いんじゃないかな、と思うんです。

芸術とか芸能と言うのは本来は競争するものでは無いと思っていますが、今の世の中は如実に公に、誰にでも見える形で数字に表れてしまいます。(もちろん、それが全てでは無い)

ニーズの無いコンテンツは淘汰され、より面白いと思うコンテンツだけが生き残れる。この傾向は今後も強くなると思います。

あまり言うと怒られますが、民謡というジャンルは既に、半分博物館の中に行きかけています。そうなるとリアルな昔ながらの形を表現できる人も聴衆も本当に限られてしまいます。

次に何が来て、何が大衆を惹きつけるのか。

先見の明のある人はもう既にそれをやっている。でも何が流行って何が売れるか、これだけは誰にもわからない。これは非常に面白いものでもあると思うんです。

昔のテレビオンリーの時代から考えるととんでもない時代ではありますが、その中で自分の曲げない形もしっかり持ってないとただ流されるだけなので、そこも大事だなと思う今日この頃です。

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