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人見知りてかたぶん仲良くなれる人が少ないから自分みせるのがこわかっただけなのかな

人見知りにたぶん徐々になってきたんだけど1番最初の原因は小学六年生の時に転入した学校でしっかり周りに嫌われるって認識をはじめてしたのを覚えてる。

あの時から人に嫌われるコツを覚えてた 
これは不思議な話なんだけど人に嫌われるって認識するまでは別に嫌われるって感覚がわからないから嫌われ方がわからない、というか気づいてないからそんな世界はない
いつか絶対連れて行ってもらえる世界なんだけど小学校6年のとき僕はだいたいの人に嫌われてた、誰が嫌っていて、誰が嫌われてないなんて認識はその時にはなくてだいたいの人に嫌われてた、集団意識で嫌われてるの感覚はなんとなくわかっていた
ボールのパスのペアがいないから担任の先生にやってもらったりしたな 

そんな世界にぼくは招待されてから相手してくれる人を無条件で好きになる感覚も覚えて行く。
その人の趣味とか人間性とか関係ない。相手してくれるから好きになる依存で好きになる感覚。

昔、石器時代とかその辺り、集団に嫌われたら生きていけなくて法律もなにもなかったからそのコミニティに嫌われたらみんなに殺される文化だったらしい。
そのせいで人は噂話、ゴシップを話した方が人間関係が深くなるらしい、、、

つまりターゲットが生き続けるかぎり嫌われてる人間の話を共有したらコミニティの結束が強くなるのだ、、、こわくね? 笑


人は色んな経験をして傷つけた後味の悪さ自分がしてきたことを反省してきたりモラルが整ってきたりするからいわゆる「いじめ」はされることはなくなってるのだかぼくの「どーせ嫌われるから話しかけるのがこわい」っていう感覚は20代になってもなんとなくあった。


そんなうがった目をした僕が人と関係を深くする方法に気づいた。というか書いてあって経験があって言語化されていた物が深くささった。 


ジョハリの窓

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これの①開放の窓を広げるとその人との関係は深くなる(好かれるとはいってない)

方法は③の秘密の窓を広げる
他人に金がない、バツイチなど人に言いにくいことを削っていって当たり前にする。
自分という人間を広く知ってもらう

あとは②の盲点の窓を広げる
これは他人に聞く、「自分の印象」、「いいところ」
「悪いところ」は脳みそにとってよくないから聞かない方がいいかもしれない。でも悪いところを認識したほうが仲良くなれるのかな?ぼくは少なくともやめたほうがいいとおもう。
ぼくは自分の嫌なことを言われてその人のこと好きでいられるほど大人じゃないし、メンタルもクソザコだから耐えられない。

この開放の窓の広さがその人が自分の認識の広さだからこれが出来れば本当の自分が嫌われるわけだからしょうがないと思う。

ちなみに人見知りを治すに1番いいのは人見知りのデメリットを考えることだと思う。

今では犬みたい人懐っこいという認識をしてもらえるようになった
僕は過去を知識と実践で乗り越えたとおもう
そんな自分をまた少し好きになってる自分が好きだ。

ちなみに未だにこわい男性にバリバリビビってる
生物的に負けてる人と仲良くはまだなりたくないみたい 笑



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