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ファッションと文化盗用、偏見、差別

1.ヨーロッパが認定して価値が生れる

 ファッションの源流は、ヨーロッパの貴族階級の服装です。貴族の服を作る専門職が存在し、高度な手仕事で一点ものの服を作っていました。これがオートクチュールの原点です。
 貴族階級が消え、オートクチュールの顧客はブルジョアジーに変わりました。
 その後、大量生産の時代になりますが、ファッションは手工業の世界に留まっていました。
 日本が本格的な既製服の時代になったのは、1970年代以降であり、それ以前はオーダーメイド主流でした。
 プレタポルテは高級既製服と訳されますが、これは、オートクチュールの手仕事の技術を駆使して複数の商品を作るようになったということであり、大量生産の既製服(レディメイド)とは異なります。
 1970年代になり、既製服出身のデザイナー、高田賢三がパリでデビュー。オートクチュールの正当な流れを組むサンローランと人気を二分するようになります。
 サンローランは世界中の民族衣裳を熟知しており、それらから着想を得たゴージャスでエレガントなコレクションを発表しました。高田賢三も世界の民族衣装に着想を得ましたが、こちらは当時の若者が支持したヒッピーの思想にも通じるコットン中心のフォークロアファッションでした。
 その両方をパリ市民は支持したのです。白人がサンローランを支持し、有色人種がケンゾーを支持したのではありません。この頃は「文化盗用」という概念はありません。サンローランもケンゾーも文化盗用と批判されたとはありません。
 なぜなら、文化の中心はヨーロッパであり、ヨーロッパで評価されたもの以外は文化と認定されなかったからです。大英博物館やルーブル博物館に収蔵される世界各地の文化遺産も、評価され収蔵されたから文化と認定され価値が生じたと考えられていました。価値あるものを盗んだのではなく、ヨーロッパが認定したから価値が生れた。それが当時の常識でした。
 

2.ヨーロッパが服装の規範を決める

 ファッションのルーツはヨーロッパにあります。ヨーロッパの階層社会、キリスト教文化、気候風土等が反映されています。
 例えば、貴族と庶民階級では服の素材が異なります。庶民は麻の服が普通で、貴族階級はシルクやウールの服を着ていました。
 色にも階級による制限がありました。鮮やかで派手な色は上流階級が独占し、庶民は地味な色の服を着ていました。服とは、社会的な階級を表す記号であり、一目見るだけで社会的階層が分かることが重要だったのです。
 また、キリスト教では下半身を露出することは罪深いこととされていました。胸を露出するより、脚を露出する方が恥ずかしいとされました。ミニスカートがイギリスから始まったのも、イギリスがプロテスタントの国だったからです。カトリックの国で脚を露出するミニスカートはタブーだったのです。
 気候風土も服装の形状に影響しています。ヨーロッパの気候は乾燥しているので、襟も袖口も締めて、人体の表面と外気を遮断します。シャワーの後に、濡れたままの身体にバスローブを羽織ること、あるいはバスタオルを巻き付けるのも保湿のためです。
 日本の気候は湿度が高いので、服の内側の通気を良くして、蒸れを防いでいました。そのため、きものは襟も袖も裾も開放的な構造になっています。また、タオルにも水分を素早く吸い取る吸湿性が求められます。
 日本のサラリーマンがスーツにネクタイを締めているのは日本の気候に合っていません。しかし、ヨーロッパが服装の規範を作ったので、日本人はそれに従い、苦行に耐えているのです。
 ヨーロッパから生れたファッションには、ヨーロッパ第一主義が内包されています。他の地域の人間からすれば非常に差別的かつ非合理的な要素を感じるのは当然だと思います。
  

3.マイノリティによる下克上

 世界のファッションを支配してきたヨーロッパのファッションの最大のライバルはアメリカです。
 アメリカの経済力が、パリのオートクチュール、プレタポルテを支え、アメリカの百貨店はパリの最大の顧客でした。
 一方で、パリのコレクションを元に、大量生産大量販売したのもアメリカのアパレル企業です。顧客であると同時にライバルであるということです。
 そのアメリカから白人以外のマイノリティがリードする異質の文化が生れました。それがヒップホップに代表される黒人文化です。これは、ある意味の不良文化とも言えます。白人に蔑視された黒人による白人文化への反発であり、コンプレックスの昇華ともいえるでしょう。
 やがてマイノリティの中から、大成功を納めるミュージシャン、スポーツ選手、エンターテイナー等が生まれ、彼らはファッションリーダーとなり、世界中の若者に影響を与えるようになりました。
 こうして「文化」とはヨーロッパの白人が認定するものという常識が壊れました。そして、ヨーロッパ中心、白人中心の主流文化と、それに対抗する黒人やヒスパニック系の文化が対立するようになりました。
 ヨーロッパのラグジュアリーブランドは、ヨーロッパ中心、白人中心の主流文化の担い手です。時代の変化と共に、新しいテーマを探しています。彼らにとって、黒人文化も一つのシーズンテーマに過ぎません。使い捨てコンテンツの一つです。
 ラグジュアリーブランドがコレクションで、黒人文化をテーマとして取り上げることは、以前なら喜ばれたことでしょう。
 しかし、今や彼らはラグジュアリーブランドの優良顧客です。そして、新時代のファッションリーダーです。彼らが支持したブランドの人気が出ることも珍しくありません。最早、評価を決定しているのは、白人ではなくマイノリティなのです。
 時代の変化によって、「自分たちの文化が白人に認められた」という認識から、「自分たちの文化が白人に盗まれた」という認識に逆転しました。そして、「文化盗用」という概念が生れました。
 

4.地球は一つという価値観

 更に、話をややこしくするのが、左翼的な思想を持つファッションメディアです。
 「多様性社会」「ジェンダーレス」「環境問題」等のテーマは、地球的な価値観を共有する最新トレンドのキーワードです。メディアはこうした思想を支持しています。ヨーロッパの価値観、白人の価値観を押しつけるのではなく、マイノリティを認め、受け入れることが新時代の価値観だと提唱しているのです。
 ファッションメディアの役割は、「新しい才能の発見」「新しいテーマの提示」「ファッション業界の活性化」であって、ファッションシステムの破壊ではありません。
 しかし、世界は分断し、対立しています。世界は一つではありません。現在のファション状況そのものに矛盾があるのです。
 我々の生活は、必ずしも先進的な理念に従っているわけではありません。個人は個人のアイデンティティのもとに、好きなテーマのファッションを選べばいい。しかし、デザイナーには、時代の波に乗ることが求められるのです。
 このまま行けば、デザイナーはコレクションの発表自体を中止するかもしれません。コレクションを発表することは、コピー業者のために情報を提供していることにほかなりません。加えて、価値観が分断した社会で何を発表しても全員を満足させることはできないのです。
 

5.文化盗用の発想がない日本

 日本を訪問する外国人は、日本人が「文化盗用」という意識を持たず、「外国人がきものを着るのを喜ぶ」ことに驚くようです。
 日本文化はヨーロッパ文化、白人文化に反発して生れたものではありません。日本人にとってきものは伝統的な民族衣裳であり、洋服と矛盾する存在ではありません。洋服が好きな人は洋服を着ればいいし、きものが好きな人はきものを着ればいい。それは、日本人でも外国人でも同じことです。
 日本文化はヨーロッパ文化とは異質です。反ヨーロッパではなく、非ヨーロッパです。そして、日本人は一神教のように唯一神が作った真実だけが価値あるものと思っていません。山には山の神様がいて、海には海の神様がいる。竈の神様も便所の神様も家の中にいるのです。
 ファッションも同様です。大手アパレルはアメリカの既製服メーカーのノウハウを基本にしていますが、オーダーメイド中心のヨーロッパ文化に基づくデザイナーも存在します。
 更には、ヒップホップのストリートファッションも、ゴシックやロリータ、コスプレも許容します。
 そんな日本人にとって、文化盗用という発想は「何と狭量なことよ」と思わずにはいられません。

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