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友人とご飯を食べるだけでものすごく生きた心地がする日々が訪れるし、誰も暗闇に飲み込まれちゃいけないんだ。

こんばんは。今日も全く元気じゃないのですけど、暮らしています。

そんなもんですよね。

先日、友人宅でカレーをごちそうになりました。またああいう時間が訪れるといいな。それ以外にも、振り返るとかもさんに会ったり、ヒガシに会ったり、横国の友人たちばかりだ。まあ、みんな元気にやってるんかな。笑い合えてだいぶセラピーとなった。

二種類もルーが、お店かと思った。


さてさて、度々、明るい話題を提供できないことが心苦しくなりますが、環境を変えるために足掻いてみようとしているところなので、ご勘弁してください。4月からずっと言語化することで整理をつけていて、今日は日ごろため込んでいる気持ちがほんの少し漏れ出てしまい、ほの暗い呟きをしてしまいました。



どうして気持ちが漏れ出てしまったのか、というと。
考えるタイミングがふらりとやってきたんですね。

先日、これから一緒に仕事をしようという方と会う機会があり、とある喫茶店でお話していたところ、「どうして降板したんですか。」という問いかけを受けまして、確かにオープンな場では釈然とした説明がないまま自分が降板してしまっていることを思い出しました。表現の現場での問題が取り沙汰される近頃、自分が降板したという事実は、自分の意図しない受け取られ方をして、相手に対し不安感・不信感を持たせてしまうということを理解することが出来ました。自分の持っている情報・認知とのズレがあるということを、ここのところ忘れかけている部分があったので、大変有難い気付きとなりました。

正直、あの時の自分はショックの大きさのあまり、目の前で起こった事件について的確な判断が出来る状態ではなく、今思えば1ミリも行う必要のなかった忖度をしてしまうなど、あれ以上戦うことが出来ませんでした。もう弱りきってしまっていました。許されざる行為を看過し、加害と被害の矮小化を図り、2次加害を行うような人たちとものづくりは出来ないし、何よりも生理的な気持ち悪さがあります。私に対して今なお正式な謝罪もないということは、この事件を事件と取り扱わず、自らの過ちを省みることもないのでしょう。こんな人たちが演劇に携わっているということが、自分は気持ちが悪くて仕方がありません。かといって、自分に出来ることは微々たるもので、ちょっとずつでも前向きに動いていこうと思っています。

暴力に屈することなく、言葉の力を信じたい。

今月、行ってみようと思い立ったものの行くことができなかった「フラワーデモ」。横浜ではモアーズ前で開かれる予定だったのですが、台風の直撃を受けて止む無く中止となりました。人が変われば、世界もちょっとずつ変わっていくでしょう。まずは目の前の、出来ることから、地道に進んでいきたいです。自分も変容をし続けて。

香川照之氏の性加害の発覚が耳に新しいですが、被害女性がPTSD(心的外傷後ストレス障害)になっているんですね。言葉ではあまり想像がつかない方は厚労省のページを参照してご理解下さればと思います。

せば、また。

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