【俳句鑑賞】夏嵐机上の白紙飛びつくす 子規

季語は「夏嵐」。青嵐とも、風青しとも表現される。青葉の頃に吹き渡るやや強い南風で、繁茂した草木を揺り動かす風。(角川書店「俳句歳時記 夏」より)

躍動感を感じる、青春の句のようにイメージ

「青」は若々しさを連想させる。弱弱しい感性の中にも、力強い躍動感がうずまいているような。とてもアンバランスな世界なのかもしれない。かんがえてみれば人生は矛盾にできているかもしれない。体力があり元気な時期はお金などがなく自由に動けそうでごけない。一方、壮年になり経済的な自由ができたときに元気さを失っていたりする。

作者が子規だからこそあゆえ、すがすがしく読み取りたい。

作者は近代短歌、俳句の生みの親、正岡子規。とにかく写実俳句の元祖みたいな方だ。有名だとは思うが35歳という若さで亡くなっている。亡くなる前の7年ほどは結核を患っていた。

年々と動けなくなる自分の体を恨んだであろう。私が思うに、子規は好奇心の塊のような人。もっともっとやりたい、己を成長させたい、広い世界をみたいと死ぬまで思っていたのではないか、と思うのだ。何せ、戦争中従軍記者になって大陸を駆け回っていたくらいの人物だから。

子規が見た青嵐の力

自由が利かない体を横たえ晩年は作句していた子規。部屋から見える風景などに感動を覚えていたのだろう。青嵐が机の上の紙をけちらしるパワー。元気な人間から見たらそれがどうした?の世界だが、その風のパワーさえに感動をしている子規に、人間の「愛」を感じる。

かつては、世界を飛びつくしていたのは子規自身。青嵐に舞う白紙に自分自身や、希望を託したのではないか、と私は思うのだ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?