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IKN no.15 いっちーの躁鬱日記

こんにちは。
いっちーです。

躁鬱日記だなんて、なんだか暗いなー、と思われるかもしれませんが
僕は暗くありません。むしろ明るいくらいです。
今までの生きづらさの原因がはっきりしたので、かなり気楽です。
そして、気持ちが落ち始めたら「イケないイケない」と修正することができるようになってきました。

今日は、お墓まいりに行ってきました。僕の父方のお祖父さんは、軍人で戦争の時は、満州に行っていました。そこで捕虜となりましたが、結核になり、日本に帰国することになったそうです。お祖父さんが結核にならなければ、満州で死んでいただろうとお祖父さんは父に行ったそうです。ということは、結核という病気のおかげで、僕や父は生まれることができたんです。病気も悪い面ばかりではないんですね。

お祖父さんは、父のお母さん(僕にとってのお婆さん)の前に、別の奥さんがいたそうです。その方は、終戦後27歳という若さで亡くなっており、お祖父さんが帰ってくる前だったそうです。お祖父さんが実家に帰ってきたときには、お祖父さんの位牌がおうちにあったそうで、もう戻ってこられないだろうと思われていました。ですが、生きて戻ってきたお祖父さんを見た曾祖母さんは、それはもう大喜びしたとのことです。やっぱり、結核という思い病気ですが、病気になっても喜べる側面もあるんです。

僕は、性格上?躁鬱人の特性上、なかなかサラリーマンというのがどうしても長く続けられず、今も転職活動をしております。ですが、そんな僕でも躁状態の時は、どんなことでも感謝できるのです。朝目覚めただけで、今日も目が覚めてラッキー!と本気で思えるのです。太陽に感謝、風に感謝、木に感謝、虫に感謝、もちろん家族には大感謝です。

人がたくさんいる中では、とても居心地が悪いのです。その理由は、周りの人の思考が滝のように僕の中へ流れ込んできて、周りの人たちそれぞれに合わせて言動をしてしまうから、とても疲れてしまうのです。そのあと一人になると、たちまち鬱が襲ってきます。だから、自己防衛のために人混みや人が多い飲み会などにはなるべく行かないようにしているのです。

コロナという大病がすぐそばにあるという状況がこれだけ長い期間続いている現状は、かなりのストレスだと思います。そう言ったマイナスの局面がある一方で、僕たちの今までの生き方を見直すいい機会になってますよね。

本当に大切なものは何なのか。本当の豊かさ、自分が求める豊かさとは何なのか。人間は、不自然に生きすぎてきたと僕は思います。だから人は自然を見ると癒されるのでしょう。自然の中では、人も自然になれるから。

ただただ生きるだけで、十分すごいと思うのです。それが自然だと思うのです。それでも、何かを成し遂げたい!志を高く!という方は、それはとても素晴らしいし、僕には到底真似できません。そういう方に対しては、僕は隅っこでとても応援しているのです。そういう人たちには、そういった生き方が自然なのでしょう。

でも僕は、ただただ生きる。それでいい。それがいい。それが僕の自然です。ある一人の躁鬱人の戯言ですがね。

今日もしっかり生きました。では、また次回。

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