Carpe Diemであること

Carpe Diemが生まれた日

昔私が東京に上京した時はCarpe Diemはまだ存在しておらずトライフォース青山だった。
一ヶ月して三田が出来る寸前で石川さんがトライフォースを抜けてCarpe Diemを作った。
石川さんは前から悩み考えていたようだったが私からしてみれば一夜の内に全てが変わったような感じだった。
しかし、石川さんの決断についていこうと決めていたしツヨシさんも絶対の信頼を置いていたので不安は少しも感じなった。
私はその後、橋本欽也さんが主催した一本カーニバルと言う試合で塚田市太郎選手と1時間越えの勝負をしCarpe Diemの名前で試合し初の勝利をもぎ取れた。
小さな話で誰も気にしないようなことだが私が一番最初にCarpe Diemの名前で試合し勝ったと言うのは私の小さな自慢だ。

Carpe Diemを背負う

こんな書き方をしたら大げさかもしれない。
だが当時始まったばかりのCarpe Diemで私も、ツヨシさんも同じ気持ちで試合に出ていた。
私は日本では勝てるが世界では高い壁に阻まれている「その他大勢」と言う評価の選手で日頃から悔しさを感じていた。
Carpe Diemは日本最強の道場だ!と示したくて数々の試合を戦い、Carpe Diemは世界にも通じる日本唯一の道場だ!と私たちスタッフが戦うことでそれを証明したかった。
私は日本代表になったことなど一度もないし日本を背負ってなんて考えたこともない。しかし俺がここで勝てばCarpe Diemを世界に知らしめることができると思ってコートに立ったことは何度もあるしその戦いを応援してくれるCarpe Diemの会員さんに支えられて私がCarpe Diemを背負えていたのは確かだ。

私が初めて2017年ヨーロピアン選手権の銅メダルを持って帰って来た時に道場の皆が祝福してくれたことが嬉しかった。
私を認めてくれる場所は唯一道場だった。それが生きがいでどんな相手とも戦えた。
石川さんは常々『国際大会の黒帯の表彰台に乗れ』と言っていたそれを達成できたのは皆が支えてくれて私がそれに応えようと必死になれたからだと思う。一人では到底ここまではできなかった。

Carpe Diemであることの意味

私は道場は聖域だと常々思う。
私にとってのCarpe Diemも一人の会員さんにとってもそれは同じことなのだと思う。
Carpe Diem Brazilian Jiu Jistuにいれば何かが起きる。
何か楽しいことがあるのではないか、もしくは何か自分の生活に良い影響をもたらしてくれるのはないだろうか。
そう思うことは会員さんも我々も一緒だと思う。
柔術がただやりたいだけならどこに行ってもできる。しかしCarpe Diemで柔術をすることでしか味わえないことがあり、私はCarpe Diemと言うブランドにすごく意味を感じている。
私は石川さんの思想が好きだし、それを真似したり考えたりするのが好きである。
だからこそ私がCarpe Diemを背負って勝手に奮闘した日々は宝物なのだ。

『私の柔術はCarpe Diemじゃないと意味がない』

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