「身の丈に合う」ことと「チャレンジ精神」のバランスの難しさ

Jr.サクソフォン・コンクール本選を終えました。

かつて僕が参加して優勝したのが第3回、今回は第24回。
歴史を感じます。

今回僕は審査ではなく運営側として6名の演奏を聴いていました。
運営だけしていたので、あくまで一聴衆としての無責任な感想。

今やデザンクロやウェニャンのような、難易度ウルトラCみたいな作品で勝負せざるを得なくなってきて、正直なところ、ちょっと高校生たちがかわいそうになってきてしまいました。
しかしこういう風潮を作っているのは大人なんだよな。

もちろん、かくいう僕もかつて20年以上前に(!)同コンクールでブートリーのディヴェルティメントをやって、「昔はブートリーなんて大学の卒試でやるような曲だったのにね」と言われたのをよく覚えていて、僕の世代でも当時高校生がデザンクロやイベール、トマジを吹くなんて考えられなかった。
しかし作品を通し、同世代と切磋琢磨し、そこで高められていく技術も確かにあるし、技術がなければ表現できないことがあるというのも重々承知してはいるが…

どうも音色やニュアンスが置き去りにされてきている感が否めませんでした。
もうただただ必死、とか、「やったる!」という気概ばかりに満ち溢れてしまっているというか…

しかしその中でも、今回個人的にとても印象に残ったのはサン・サーンスのバスーンソナタをバリトンで吹いた高校3年生の男の子と、クレストンのソナタを吹いた高校2年生の女の子(二人とも惜しくも入選でした)。
実は個人的に、予選の録音審査でもやはりとりわけ印象に残っていた二人でした。

技量こそ今の「すごい子」ほど高くはないけれど、すごく純朴な歌心と自然な音色で、僕はすっかり彼らに魅了されてしまった。
二人とも、その作品への純心な愛情が存分に感じられ、本当にその作品が好きなんだなあと感じました。
そういう演奏って、聴いていて本当に心持ちが良くなるものです。

速いテンポや音数や音量で周囲を凌駕することなく、ただただ自分の中で優しく音を慈しみ、温め奏でられていているように感じました。

更にはクレストンを演奏した女の子、今回の6名の中でたぶん唯一、演奏前後のお辞儀で笑顔だったんだよね。
もちろんわざとらしさはなく、とても自然で素敵な笑顔だった(目が悪いからちゃんと見えてないけど、たぶん…)。
だから演奏する前から「うわっ、この子は普通じゃないな」と期待感を持ち、いざ演奏が始まったら、「やはり」と頷いてしまった。

あの張り裂けるような緊張感の中、すごいなと思った。
なかなかああいうコンクールという場で見られない光景でした。
あれは天性なんだろうなあ。
肝が座ってるとか、余裕があるとも違う、なにか本当にピュアな良い心を持ってる子なんだろうなあと思いました。
演奏家として、とても大切な素質といえる要素かもしれません。
僕も、いつでもそうありたいなと思いました。

ひとまず、「身の丈に合う」ことと「チャレンジ精神」のバランスは非常に難しい問題だなと。
そして、技量ばかりに追われてしまい作品の奥に潜む「歌」に気づけずに通過してしまうことの哀しさよ…。

でも技術は大事よ。大事。
でもラクールやブレマン、フェルリングが「普通に」美しく吹けるようになることも同じく大事。

特別な味付けもせず、華美な衣装で着飾ることもなく、ただただ素材の良さだけで、シンプルな装いで佇むだけで光るようになりたいものです。

がんばろ。

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