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表情が変わる瞬間、必死さのなかで輝く一瞬

最近、結局人間はあまり変わらないもんだなと。
いい意味でも悪い意味でもそう思った。

僕の取材キャリアは歪であり、常に取材人として「これでいいのか」という自問自答がある。

感情移入してしまう方だし、いわゆる世間の「普通」と僕が思っている「普通」はわかっているけどだいぶズレている。

僕の価値感は、「原石」にひとつの道標を作ること。ここに大きな軸足がある。

15歳で選手としてのキャリアをある意味諦めた僕は、20歳で育成年代のコーチになり、
「自分のように、諦めてしまう選手を作り出したくない」
という何も知らないがゆえの想いだけでスタートした。

でも、結果は多くの選手がバスケをやめるという矛盾した結末を迎えながら……。けれど、勝利することでコーチとしての成果、評価をもらえる満足感も感じるという、矛盾のど真ん中にいた。

当時、気づくことのなかった
「自分のように、諦めてしてしまう選手を作り出したくない」
という信念は、気づけば自分の都合や承認欲求に合わせて、
「選手のためにより良い指導をして、自分のようにフェードアウトアウトさせない選手を作る」
に変わっていたように思う。
要するに、成長を促して辞めさせないという、ある種の厳しさのもとに成り立っていたし、自分も言えないから続けていたといつ側面は実際にあった。

いつも、大人は勝手だ。

自分が知らない知らないところで動いてくれるときもあれば、自分の信念をあたかもそのすべてが正しいかのように押し付けてしまう。

一方で、そこから育つ選手も
「あの経験があったから……」
と自分の中で解釈をして、再度目的意識を持つことで生き残っていくのもらまた事実。
僕自身も、あの経験があったから今があると感じている。

書いていても思うけど、どこも矛盾だらけの中で……、その子のためなのか、自分のためなのか……わからない時間を過ごすことがよくある。

ある方向から見れば正義は、ある方向から見れば悪である。

だからこそ、自分自身の芯がなにかというブレないものがみんな欲しいんだと思うし、それが僕にとっては

「表情が変わる瞬間、必死さのなかで輝く一瞬」

なんだと思った。

だいぶズレてしまった話を戻すと、僕のバスケットボールキャリアは15歳で選手を諦め、育成年代のコーチから始まり、ブログでの試合レポートから、今は某バスケ雑誌の編集長になった。

ブログを書いていた当時はトップレベルのゲームに興味があった。
それは、それ自体がコンテンツとして1番影響力が大きかった、成長可能性が大きかったからでもある。
ただ、僕にとっては常に原点である「育成年代」に対する学びでもあった。

そして、今、某バスケ雑誌の編集長になって1番話をする機会が多いのが大学生になった気がする。
それはそもそもの自分の特性にマッチしているからだと思う。
色んな経験をすることで、結局自分の力が1番発揮されるところに人は戻っていくと思う。
だから、早いうちから色んな経験をするべきだと僕は本当に思う。
無駄な時間なんて1秒もない。

そして、その大学生年代は、1番メディアの影響力をいい意味でも悪い意味でも受けてしまうし、逆視点から見ても、正しく注目されることで輝きを得る世代でもある。
そして、価値観が固まってしまう年代でもある気がする。
価値観が固まってしまうと思ったのはすべてがそうではないけど、トップレベルの選手の中にも一定数、ここから書くような言葉だけを求めて、「自分が1番輝いてたあの頃」を擬似体験することで、その瞬間から逃げてしまう選手がいることを知ったからだ。
そういう選手は、心が安定した瞬間だけは輝きを取り戻すけど、輝き続けることができない。

また話がそれだけど、そんな不安定な年代だと感じているからこそ、そして現代だからこそ、彼ら彼女らにはメディアだからこそ関わる価値と意味があると思う。
全員がメインプレーヤーやスーパースターにならないことを気づき始めて、自分のあり方を考えるからこそ

男子はたった一言で表情が変わる瞬間がある。
女子はたった一言で必死さのなかで輝く一瞬がある。

僕はそう感じている。

これは身体能力的な差なのかもしれないし、性差なのかもしれないし、現状の環境なのかもしれない。
理由はわからないし、分けるものでないのかもしれないけど、色んな試合を見た時にどんな選手も輝きを見せる瞬間があって、きっかけを探していることに変わらないと思った。

大学バスケは関東がメインコンテンツとなるが、北海道から沖縄まで、たった一言で変化を遂げる才能がたくさんあるし、トップレベルに届かずとも、頑張ってきた4年間。ないし10数年がある。
全国、世界中の人に言葉を届けられる時代だからこそ、あそこで誰かが自分のことを見ていてくれた。
あの瞬間の覚悟、それゆえのわずかな変化を誰かが気づいてくれた。
誰かが認めてくれたから頑張れる時代でもあると思うし、こういう立場になって中学、高校、大学と関わった時に、そうやって前に進んでいく瞬間に何度も出会うことができた。

15歳の僕はいつもこう言われていた。

「パスセンスはずば抜けている」

それが嬉しくて、どんな瞬間もパスコースを探し続けた。
でも今思うと、1番かけて欲しい言葉をかけてもらえなかった。
「こういうシチュエーションでこそ、君のパスは最大化されるんだよ」
それは賞賛であり、導きである。
それを待っていた自分が間違いなくいた。

認めてくれて、導いてくれる人。

自分の弱さ、わがままを理解しつつも
「けど……」とか、「でも……」
という言葉に過敏に反応した。
それをコントロールできなかった。

あの時、「パスセンスがずば抜けている」という言葉は、僕にとっては最大の褒め言葉であり、僕自身を支える数少ない言葉であり、そして僕の考えを固定してしまう言葉だった。

少なからず僕にはそうだった。

自分でいうのも変だが、その後、たいして練習もしていないのに、当時のトップレベルに混ざれたのだから、考え方時代でもバスケットボールはコートで成果を出せるし、自分はそこそこのセンスがあったのだ思う。
多くの人が導いてくれようとしていた、自分を引き上げてくれようとしていたけど、そこから先の言葉は、自分のパスが否定されているようで苦しかった。
あの子は伸びていないと言われているようで怖かった。

応援は時に苦しみになる。
期待は視野を狭めてしまう。

だからこそ、今1番探している言葉を見つけてあげれるように。
そして、感性は共鳴する同士がいることを忘れてはいけない。
要するに、僕にしか見つけられない才能が世の中には間違いなくあって、そんな人を余っている子も世の中には間違いなくいる。
ひとつ付け加えておけば、大人になるに連れて、そこに甘えていたらその先はないのだけれど、きっかけを探している選手のために。
僕が見つけられる原石たちのために、きっと今の僕がいるんだろう。

結局、僕はここに戻ってきた。

だから、僕は言葉を届けるし、彼らの想い、彼らのプレーに寄り添いたい。

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