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いつか、必ず北海道に… vol.1

昨日からnoteを書き始めた。

なんと自己紹介での自身の生まれ年をミスするという大失態を犯してしまった。笑

30歳を超えると、今自分が何歳なのかもよくわからないのも事実である。29歳から30歳になった時に、何度も20代に丸をつける自分に戸惑ったことももう随分前に感じる。

3年前、祖母が亡くなった。祖母が亡くなる直前に地元札幌に戻り、家族と祖母の見舞いに行った時、父が不意に「お前いくつになるんだ?」と聞いてきた。「29になる」と応えると、祖母に向かって、「母さん、將廣ももうすぐ30だとさ、まぁ、昔でいうところの20歳みたいなもんだな。」と祖母に話しかけていた。

25歳の頃、教え子の女の子(中学生)に「宮本さん何歳なんですか?」と聞かれ、「いくつに見える?」という定番のめんどくさい質問返しをすると、教え子は何も悩まずに「38歳」と答えた。

「嘘だろ?」と返し、「お母さんいくつ?」と聞いたら、「36歳です」と答えた時ほど、傷ついたことはない。いつの間にか老けてみられる自分にもなれ、最近は40代に間違われることが当たり前になった。

どうでもいい前置きが長くなったが、要するに自分が何歳なのか…自分も忘れかけている。笑

今日は僕が東京でずっと生活をしているのに、なぜ「北海道」にこだわるのか。それを先日改めて気づかされたことがあったので、そこについて書いていきたい。

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なぜ北海道にこだわるのか

まず、単純に北海道が好きだ。正直これが全てで、それ以上でもそれ以下でもない。

びっくりドンキーが大好きだし、ラーメンは西山ラーメンが食べたくなるし、カツゲンを欲する自分がいて、無性にジンギスカンを食べたくなる自分がいる。

ただ、北海道にいた時はそんなことも思わなかった。

なんの不満もなかったが、いく場所も毎日同じなので、特に何かを感じることも考えることもなかったのが正直なところだ。

東京にきた時、東京の人は冷たいと思い、自分は友達ができないんじゃないか…と恐怖に似た感情に包まれていた。しかし、「北海道出身です」と言っただけであっという間に友達ができた。(今は時に北海道の人より、東京の人の方があったかさを感じる時もある。)

北海道を出たことで、北海道が好きな自分に気づいたことは自分にとって大きかった。

道産子というアイデンティティ

当たり前だが、東京には全国から様々な人がいる。大学では関西、広島、鹿児島、東北の人などとも仲良くなる中で、考え方の違いに驚いたことが多くあった。これは地域性だけでなく、個人の性格もあると思うが、その中で、自分は明らかに自己主張がないことを感じた。

自己主張がない。をきれいに書くと、優しいとかそんな感じになると思うが、要するに何も考えてないのだ。みんな自分がどんな人間で、すでに自分とはこんな人…というアイデンティティを持っていた。

僕が北海道で、周りに合わせる。周りに迷惑をかけないように…そればかり考えていたので、こんなにも自分は自分を持ち合わせてないのか…と感じた。

もちろんそれが普通かもしれない。18歳の頃の自分というアイデンティティはある意味尖ってたりして、いい部分も悪い部分もあると思う。僕も内心…それはちょっとないだろう…と思ったりもしたが、それでも周りはそんな自分を持っているように感じた。

北海道を出なかったら、そんなことも考えずに、とりあえず大学を卒業して、それなりに遊んで、普通に働いていたと思う。それが悪いとは思っていない。

ただ、北海道を出たことによって、道産子という、自分のアイデンティティを考えるようになったことは事実だ。(そういう意味でここにはかけないようないろんな失敗やあほなことをたくさんした。迷惑をかけた人には今となっては本当に申し訳ない気持ちしかない。)

レバンガ北海道、松島選手が引退会見で語ったこと

そして、先日僕が大好きなプロバスケットボール選手、レバンガ北海道の松島良豪選手が引退を発表し、会見を行った。

コートでの活躍もさることながら、オフコートでの活躍も目立つBリーグきってのエンターテイナーである松島選手が、「後継者にするなら?」の質問にこう答えた。

レバンガのことを考えるのであれば、内田選手です。
僕は沖縄県出身で、沖縄県民が頑張ることは沖縄県にとってよいことだと思っていて、それは北海道でも同様で、札幌出身の内田選手は北海道への想いが人一倍強いと思っていますので頑張ってほしいです。(レバンガ北海道HPから引用)

彼は沖縄出身の選手でありながら、北海道という地で多くの人にバスケットボールを通じて勇気を与えてくれた。しかし、その活躍は彼の地元沖縄にとってはもっと大きな価値のあることなのではないのだろうか。僕はふとそんなことを思った。

時に僕らは、自分が生活するその世界が全てと感じてしまうことがある。どこかの記事でも松島選手は「沖縄と北海道は似ていて、島ですから…」と発言していたように記憶している。

地元の人間が活躍することは間違いなく、その地元で生まれた人、その場所で生活を送る人にとって勇気や元気を与えてくれる。それがスポーツなら尚更だ。それを松島良豪という選手は教えてくれた。

普通に東京で生活をしていると、北海道の情報は意識しないとまず入ってこない。むしろアメリカや中国の情報の方が多くキャッチできるかもしれないと感じる。

これから地方というのはどんどん発信をしていかないと埋れていくのではないか…

そして個人でも様々なことを発信できる世の中になった。正直これも、東京と北海道ではかなり感覚の差を感じている。

小さいことではあるが、一個人の影響力の小さな道産子でも発信し続けることによって何かを変えられる1つの歯車にはなれると感じている。いや、ならなくてはいけない。

そんなに発信したいなら、北海道に戻ればいい。おそらくそう思うのが普通である。ただ、東京にいるから見える北海道の良さ悪さ、そして必要とされるものを東京から発信することに価値があると感じている。そして、そのことによって、誰かが動くきっかけになれると感じている。

北海道が好きだから、北海道を発信する。道産子であり、まだまだ短い人生の半分を東京で過ごしてきた自分ができることを発信していくことで、北海道、道産子が自分自身を考えるきっかけになるかもしれない。

そう思うと、しっかり出会いに恵まれるのもまた人生の面白いところだ。

先日、札幌に帰省した時に、同世代の似た考えを持つ人達の集まりに参加させてもらった。そこで、まずは発信!ということで

「わやさっぽろ」というインスタグラム のアカウントを作った。

僕はまだ大きな関わりはないが、新しい札幌、北海道の発信の切り口として面白い取り組みになる気がしている。(よければ是非フォローを)

『人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。』

教育学者森信三が残したこの言葉を僕は大切にしている。そのチャレンジが成功であれ、失敗であれ、想いがあれば、きっとそこから新しい何かを学び、出会いが生まれる。

僕は大好きな北海道を発信していく。今、東京にいるからこそできる発信が必ずあるから。

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