小学生の頃に考えた世界

私はちょっと変わった子だったのかもしれない。

小学校4年生頃のことだっただろうか。
毎晩布団に入ると、死後の世界のことを考え始め、恐ろしくて眠れない日々を経験した。肉体はどうなるのか?精神は残るのか?今、考えている自分という存在は、跡形もなくなってしまうのだろうかと。本当に死後の世界なんてあるのだろうか。と。

普通、その年頃のこどもが、死んだらどうなるかなんて考えないのかもしれない。しかし、私は真剣に考えていた。
誰かに話すと「変な子」扱いされることは予測できたので、当時は誰にも打ち明けることはなかった。

また、同じ頃。
この世界は誰かに作られたものだという夢想に取りつかれたこともある。

世に存在している万物は、絶対神のようなものが創造し、すべてその思いのままにシミュレーションされているだけではないのかと。
宇宙さえも、作られたものであり、その隅っこに位置する地球も、そこに住む我々も他の生物も、すべてが何らかの実験目的で存在が許されているだけではないのかと。

ラプラスの悪魔クラスのコンピュータの制御支配下にあり、今こうして考えていることも、自分の意志だと思っていることすら、何者かによって仕組まれたとおりに動いているだけなのかもしれないという空想。

また世界地図を眺めていて、南アメリカ大陸の海岸線と、アフリカ大陸のそれが、あまりにも似ているので、「両者は元はくっついていたのではないか?」とわけのわからないことを考えることもあった。
後日それが事実であることを知り、だったら、絶対神という存在もいずれ明かされるのではないかとさえ考えた。

そんな夢見る少年は、大人になってから、これらを誰かに話すことができるようになった。
そうすると、自分だけが特段変わっていたわけではないことが判明してくるのである。おもしろい。

たまたま話した相手も、同じようなことを子供の頃に考えた経験を持っていたり、少し異なっていても似たような空想をしていたりすることが多いことがわかってきた。

絶対神のシミュレーションは、現実的にはあり得ないかもしれないが、大陸移動説は事実らしい。

こどもの脳はあらゆることを想像できるし、それは大人が考えもつかない大発見につながることだってある。

もしかしたら、死後の世界も実在していて、それがあらゆる宗教で語られているのかもしれないなと、この年になって思うのである。

常識は移り変わるものだ。

いつの日か、「この世界は実はすべてシミュレーションです!」と全世界に発表される日が来るのかもしれない。


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