琴線(断片)

奇妙なことに、この頃、私の心に美しくうつるものは、悉く、いわゆる生活の臭いのするものであった。
例えば、その輪郭が全くぱきりとしない、精神が脱落したように毛玉が飛び出ている弛んだ綿製の下着。
例えば、老いたマンションの影に被さった台所に淀む、射出された精液のような鼻につく臭い。
例えば、赤色、水色、赤色、黄色と、滅茶苦茶に並べられた背表紙や、無作為に抽出した市民の前歯を抜き取って整列させたように背丈の揃っていない本が並び、その隙間に、広告が刷られた葉書や水道料金の請求書やらが仮初めに挟まっている本棚。
それも、ただじっと見ているのではいけない。
時間が経つほどに、頭の中でいくつもの印象がまるで水面に雨粒が波紋を打つように無秩序に重なり合って、私はすぐに吐き気が喉のほんの近くまで上昇してくるのを感じる。そして、そこに見出した美しさが無理矢理のものであったことに気づかされるのだ。
吐き気が治まると、途端に背面に平行移動したように感覚が開けて、先ほどは無秩序に思えた印象の波紋が、実際にはある秩序を成していたことに気づく。
しかし、それはひどく恣意的であり、まるでどこから見ても救いようのないほどに下手糞な作品を、その子どもが頬がはち切れんばかりに満面の笑みを浮かべて顔の上にそれを掲げているばかりに、批判の矢を背に受けながらも、犬小屋の屋根にニスを塗るようにそれを褒め称えるときのように、むしろ生活の臭気に同情してその美しさを作り上げてしまったことを知った。
それでは、どうにもいけないのだ。やはり、ふとした時に、ある島の、廃屋が生活の構図を持って建ち並ぶ丘に築かれた石垣の上に、それと平行に延々と伸びる弛んだ水平線を見つけた時のような、満開に燃える桜の木の枝の途中に、焼け焦げたように真っ黒の毛虫を何匹も見つけた時のような、そんなことでなければいけないと思った。

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