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違えちゃった

あー、また自分が間違えちゃった


人間と関わることがあんまり向いていない、たぶん。
スキの反対は無関心。スキをしろ。
全体的に“広く浅く”の人生なので、誰かひとりとディープに関わり続けられない。
ある一定の深さまで到達すると、それ以上は潜れなくなるんだ。あまり性能のよくない通常動力型潜水艦みたいに。

きっとそれは私の幼少期の経験が影響していると思うんだけど、それはまた別の話。


相手のダメなとこばっかり見えてしまう。というより、見つけてしまう。
自分は完璧じゃないのにね。
誰も完璧じゃないのにね。


割と「仏」みたいな扱いを受けることがある。
あんまり怒らない(というイメージがあるらしい)し、自分と意見が違えることがあってもあまり攻撃しないし。

でも「スキの反対は無関心」。つまり、相手にあまり関心がないとも捉えられるのである。
自分は自分。他人は他人。他人に自分が影響されるなんてもってのほか。
隣の芝生は青いけど、うちのだって青いもん。いいでしょー



私、本当は仏ではないので、我慢の限界というものがある
社会人になってから、その「我慢の限界」を迎えやすくなってしまった、
というか「怒りの閾値を超えやすくなった(=より怒りやすくなってしまった)」ような気がする。
要は以前よりも怒る(その他反論するなど)ことが増えたような気がするのである。

でもそれが災いの元
二人同じ歩幅でずっと 歩けるはずがないのに

いつだって早足で付いて回って 脚が痛むでしょう?


甘い蜜の副作用に蝕まれている。
自分が怒りやすくなってしまったこと自体をあまり受け入れられていないので、そのギャップに違和感を感じ続けている。
自分って元来こんなニンゲンだったっけ?

こうなってしまった原因は複数あると思うし、以前の自分は「部下を動かす」とかそういうことには一切触れてこなかった訳で、そういった自分の日常の変化も影響していると思うんだよね

理想の自分像なんてものは存在しないし、目標を立てられないニンゲンなので、「X年後に自分がこうなっていたい」みたいな意識高めな考えがあまりない。
本音を言えば「楽に年収を高くしたい」みたいなことばっかり考えている

楽な仕事なんてないんだけど、自分ならば楽にできること、みたいなものならありそうだなって思うし、そういう観点から自分のキャリアを見つめ直しているところ

だから、スペシャリストではなくゼネラリストなんだと思う。
人生が「広く浅く」なので。
色んな事を経験したいし、いろいろできるようになりたいし。

そしてあわよくば、あんまり怒りっぽくなかった以前の自分に戻りたいなあと思っているし、そういう環境下に身を置きたいなって考えている。


なるべく間違えないようになりたい。
理想を強いて言うなら、これかもしれない。
人生において「かもしれない運転」は重要なのかな

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