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歩けない弟の歩きたい欲望 ~井手口雅恵の原点

アシタスタイル代表・井手口です。

(もしも私が、今後、靴を手掛けることになったら、弟にも履いてもらえるような靴にできたらたらいいなー)

2014年の創業時は、そんな事をぼんやりと妄想していたことを思い出しました。
 

私の8歳下の弟は、障害者手帳・第一級一種。外出時は車椅子移動、家の中ではハイハイで移動しています。重度の脊柱側弯症(計測では「30度」の診断)です。

上半身が大きく右側へズレて撓んでいるために、左脚に体重を載せたくても思うように動かせない歪みがあります。


イケメンです


「上半身の歪みは 下半身から生じていて、そもそもその歪みは、足元から生じている連鎖だ。もしかしたら、足の捻れが改善出来れば、身体の歪みが改善できるのでは?」と気が付いたのは、足と身体の研究に取り組み、アシタスタイルメソッドを創り、私自身の外反母趾が改善へ至ったことで、自分の身体の動作の精度が格段に向上した辺りからです。
  
      
 

右足は外反足、左足は内反足、後ろは父


 
尖足のため、足趾の背屈が困難。左右の足それぞれに足関節のズレがあるため、そんな足部のアライメント不全は全身へと及び、関節を通じて捻れまくっている弟の身体。
   

つまり、足の学校を立ち上げた姉としては、実に肉体改造への取り組み甲斐がある♪というわけ(^^)
    
     
弟が、なぜ歩けないのかは未だに原因不明で、生まれた時も特に問題なく、すくすくと育っていたんです。
  
歩き始めるであろう時期に「あれ?この子、もしかしたら歩けないのかも?」気付いた両親は様々な病院へ連れていき、脳波をとったりなどあらゆる検査をしましたが、理由は、結局、わからずじまい。
  
障害者手帳を発行するためには条件が必要ですから「小児脳性麻痺による」と手帳には記載されています。

両親はその後も、弟の身体を良くしようと、ありとあらゆる手を尽くすべく奔走していました。それから、私達が通う同じ小学校へ通わせたいと願い、教育委員会へ嘆願書を提出したりなど行っていました。
      
  
父と毎日歩く練習をしていたので、6歳くらいまでは補助輪付き自転車を漕いだり、松葉杖で歩けるほどの身体になっていたのです。

両親の努力も虚しく、否応なしに養護学校へ入学が決定し、両親が介入できない、目の届かない学校の中では、多くの生徒さん達と関わる忙しい教諭の皆さんの元で、一人の子にばかり特別に割ける時間が捻出できるはずもなく、きっと移動手段は、車椅子に乗せられる事が当然となってしまったのでしょう、成長期も相まって、体重も増加、徐々に歩きづらくなると動かさない時間も増えていき、松葉杖で歩けていたはずの身体は、次第に歩けなくなって行きました。 
 
 
 今、歩かないと、いつか歩けなくなる。
 今、歩いておくことが、将来も歩ける足を保つ、唯一の方法。

アシタスタイル構築の基礎にもなっている思考は、この当時の私の記憶が原点だと思います。 
    
    
  
坂道・階段ばかりの長崎。

自宅は、31段の階段を登らないと辿り着けない場所に建っていました。

このままではいずれ住めなくなる。
これからどうやって暮らそうか?
  
当時の両親の不安と苦悩は、どれほどだっただろう?と想像したりします。
     
     
あれからおよそ30年。

「自分の足で歩けるようになりたい」

弟本人の意思で、6年前から、リハビリと歩行訓練を始め、365日、1日も欠かさず続けています。

弟がそれほどまでに頑張るのは、たぶん、母の認知症診断がきっかけです。

末っ子で甘えん坊。
   

不自由な身体を理由に、どこか、与えてもらうのが当たり前の彼が痛くてツラいだけのリハビリを、自発的にやりたいだなんて言い出すはずがなく。きっと父が弟へ、母の身体の状態について、これからの未来の話をしたんだろうなと思います。

(父が私へ悩みや苦労を語ることは殆どないので、あくまでも想像ですが。)
     
  
さて、2022年4月。
福岡出張ついでに長崎へ帰省し、家族の様子を見てきました。

帰省した際にはいつも家族みんなの体調をヒアリング。不調があれば一緒に身体を動かしながら「足趾と身体の関係性」を伝え、どうして痛みが出たのか?どうすれば痛みが消えるか?自分の頭と身体を使い、自身で納得しながら、自分で解決できる方法を伝授してきます。(アシタスタイルの講座やレッスンの家族ver.です!)
 
前々回の帰省時に「足趾からのアライメント調整」を、弟の自主リハビリへ追加して欲しくて、具体的な方法を伝えてきたので、きっと、何かしらの変化が起きている前提で、期待も込めつつ♪
   
   
努力というのは実るもので、弟はこれまでできなかった「横座り」ができるようになっていました。横座りができるのは、股関節の可動域が広がった証拠で、それは同時に、二足歩行の準備が着々と進んでいる証拠でもある。
    
   
弟の足を観察してみると、扁平だった足裏には、しっかり筋肉が付き、アーチが形成されていました。
   
小さかった踵もしっかり大きくなって、足首の返しも良くなってきていて、直近の立位訓練では、補装具で足首を固定しなくても、市販の靴だけで立てるようにまで変化していました。
   
   
逞しい上半身に対しては、あまりにも華奢すぎる脚と、痩せたお尻でしたが、そんな下肢にも、しっかりと筋肉が付いてきていて、日々の努力の成果がハッキリと刻まれていました。
  

長崎ハートセンター訓練室の廊下でスローターを押す後ろ姿

  
「あっくん。スゴかね!訓練、めちゃくちゃがんばりよったとねぇ!」
  
  
「うん。がんばりよるよ。前は、リハビリも痛うして痛うしてたまらんやったとけど、最近はそうでもなかごとなったよ。」
  
  
「そうやろうね。ここまで身体の変わったら、だんだん楽しゅうなってきたとじゃなか?」
 
  
「うん。楽しかばい。動いたら汗びっしょりけど、動いたら気持ちよかもんね。」
  
  
「そしたらさ、あっくん。明日の自主訓練、私もハートセンターに、一緒に行こうかな?よか?」
  
 
「雅恵ねぇちゃんも来てくれると?
うん。よかよー」

   
翌日、弟の自主訓練へ同行し、いつもやっている内容に、雅恵エッセンスを追加することにしました。

歩行訓練で使用する平行棒の端で、足を固定して立位訓練。
立ちづらそうにしている弟の身体を、私の全身を使い、全力で支持しながら動かし方を伝えていく。 
   
 
「あっくん。こうやってさ、腰ば安定させるたい?はい、右の脚こっちね、はい、左の脚がこっち、はい、ここが骨盤。下半身に対して上半身を、こう乗せる。ほら、乗れるやろ?立てるやろ?このまんま前屈してみよう。はい。息を吸ってぇ~吐きながら~前に倒すよ~」 
    
 
ふぅ~と息を吐きながら、ぐーーんと伸びた弟の大きな背中は、重度の側弯症であることを一瞬忘れるほどに、キチンと並んだ背骨が揃ってきれいな曲線を描いていました。
  
 
結構な深さまで前屈ができたその様子を横で見ていた父は、もちろん声をかけずにいられない!

「おーーー! あっくん!
スゴかなぁ!出来たやっか!」
   
 
身体を起こした弟は、今まで一度も出来なかったことが不意に出来るようになり、嬉しくて溢れてくる感動を抑えきれない様子で、興奮してゲラゲラと笑うから、再び身体が反り返ってしまう。
   
 
だけど、その目には、涙が光っていました。
   
  
 「あっくん。出来たねぇ。
嬉しかねぇ。良かったねぇ。」
  
  
「嬉しかぁ。。。
わかっとっとけどさ、できんやったとやもん。」
 
 
「そうよねぇ。頭ではわかっとっとやもんね。でも、なかなか身体のついてこんやったとやもんね。」
  
 
「うん。できんけん、歯がゆかったとばい。」
  
 
「そっか。歯がゆかったとか。そいじゃ、もうこれで、今日から身体もわかったね!」
  
 
「うん。わかったばい。雅恵ねえちゃん。ありがとう。」

   
そう言いながら、またもや、笑い、泣く弟。
     
  
ボロボロと涙を流しつつも、興奮してゲラゲラと笑うから、またもや身体が緊張して反ろうとしてしまう。
    
    
「あはは!ほら!あっくん!そげん緊張しよったら、せっかく前屈出来たとに、また身体の反っくり返るたいね!訓練にならんばい!」

「だって、嬉かとやもん。」
    

興奮さめやらぬ弟をなだめ、2回、3回、4回と、深呼吸とストレッチを繰り返し、自主訓練に勤しみました。

そして、その日の夕餉の出来事。
我が家では畳に座り座卓を囲んで食事するのですが、ふと思い立って、弟へ声をかけました

「あっくんさ、胡座かいてみようか?もしかしたら、今日、できるかもしれんよ。」

「うん。」

「ゆっくりでいいけんね、急がんでいいけん。体勢ば変えてみて。」

「うん。」

  
弟は正座の姿勢からゴソゴソと動きながら体勢を変えようとしている。

「まーねーちゃん。できたばい。」

弟の声で振り返ると、そこにはリラックスしてあぐら座りの弟の姿が!

「わぁ!あっくん!すごい!すごい!お父さーん!お母さーん!兄ちゃーん!ちょっと見て!見て!あっくん!胡座かけたよ!はよ、こっちに来て!」

ふんわりと力の抜けた状態で、弟は私を見て、ニコニコと笑っていました。

「ふふふ。まーねーちゃん。あぐらばい。」

「あっくーん。やったね!できたね!これなら身体も緊張せんやろ。ご飯食べるのも楽になるとじゃない?ビックリして溢さんごとなるね。良かったねぇ♪」

目に涙をいっぱいためて、弟が言いました。

「まーねーちゃん。ありがと。嬉しか。生まれて初めてばい。あぐらばかいたとは。嬉しかねぇ。」 
 
 
緊張のない身体で行う会話というのは、こんなにも穏やかなのね。弟の言葉は、吃りがなくスムーズにスラスラ出てくる。

今までの弟の身体だったら、こんなに感極まったら興奮状態になり、身体が反っくり反り、ますます抗縮がひどくなったはず。

安心・安全・快適。

自分の身体へ安心して自分を預けられるとこんなに安定するんだねぇ。
    
    
こうして、足と身体がようやく繋がった弟には、次の目標が出来ました。
   
  
「車椅子を降りて、松葉杖で歩けるようになって、穐山先生(再会した整形Dr.)と一緒に山登りをする」です。
   
   
昨日、父から電話がありました。

「今日はさ、穐山先生と月一訓練の日やったっさな。アキトの歩くスピード、格段に上がったけんね!スロター押すときの足の繰り出しもスイスイスムーズにいきよるぞ。先生もビックリしよんなった!イイ感じけんね。ワハハハハハ~!」
  

今までに障害者の弟の事は、殆ど発信してきませんでした。「かわいそう」とか「不憫だ」とか、変に同情されるのも嫌だし、障害者を利用した商売みたいに捉えられたくなかったし。
   

だけど、今、弟の想いと、弟が起こした事実を猛烈に伝えたい!と思い、書くことにしました。
   
   
普段は車椅子生活で歩けない身体だけれど、彼には、人一倍歩きたい欲望があること。

それを諦めていないこと。

そして「人はいつでも変われる」と言うこと。
   

自分でやると決めたら、成し遂げるまで決して止めることがなく、できるようになるまでやり続ければ、その願望を叶えることができるのだなと改めて思います。

 

  
   
私には、今でも忘れることのできない強烈な記憶があります。 
 
姪っ子が生まれてヨチヨチ歩きを始めた頃、その様子を見ていた弟は、姪っ子へ言いました。

「Aちゃんは、歩けるごとなって良かったねぇ。僕はね、歩ききれんとよ。」
   
    
グッと来た。
 
心臓を掴まれたみたいだった。
    
  

いつもは何も言わないけれど、ほんとうは弟だって自分の足で歩くことを望んでいるんじゃないのかなと、この言葉を聞いて強く感じたからです。(姪っ子は今年成人式を迎えましたから19年前のことです。)
   
   
 
歩きたい欲望。
 
肉体の欲求を叶えていく。
   
着実に。

 

その動物的な貪欲な姿勢を見ていると「生きる」ってこういうことなんじゃないか?って思った。
    
だから弟は、きっと、いつかはやり遂げるんじゃないかと思っています。
   
自分の足で山に登ることを。
   

カラダってとても素直なので、耳を傾け、会話をし、キレイに揃えて、丁寧に使ってあげれば、ちゃんと言うことを聞いてくれる。

素直に言うことを聞いてくれるようになったカラダは、思い通りに動かせるようになるはずだから。
    

アシタスタイルには、まだエビデンス(科学的根拠)はなく、実績のみですが、そう思えるのは、私の経験=私の身体が起こした事実と、アシタスタイルへお越しになるたくさんの顧客様が、私の目の前で身体の奇跡を、毎日のように繰り広げてくださるから!  
   
  
そんな、アシタスタイルの靴づくりは、いよいよ、次なるフェーズへ!
   
   
ジッパー式のハイカットシューズに取り掛かります。
   
  
「雅恵ねぇちゃん。赤がよか。赤の靴ば作ってね。」
   
赤が大好きな弟に、可愛く頼まれましたので、立ちやすくてカッコいい、赤いシューズをつくります!  


(2022年4月18日の記事です)

足で創る未来
アシタスタイル公式サイト
https://ashitastyle.com


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