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2024

今年も後二週間ほどで終わる。
新潟では今朝から雪がチラつきいよいよ冬本番という気配になって来た。
私は毎年冬になるとできる手のひび割れに苦しみながら家事や仕事に追われている。

今振り返ると今年は自分のやりたいことを出来る限りやった年だったと思う。
春には急に思い立って東京の叔父さんの家に会いに行ったし、夏には山古志の闘牛を観に行った。

東京の叔父さんには、3年前の父の葬儀以来会っていなかったのだが、なんだか急に今年何が何でも会いに行かなければ、一生会えないような気がして自分でもなかなか無茶だなと思いながらも、妻を連れて一泊で叔父さんの家に行った。

叔父さんは快く迎えてくれて、叔母さんも前もって連絡したとはいえ、突然私たちが行ったのであわててしまったと思うのだが、美味しい手料理を 振る舞って下さり、楽しい時間を過ごせた。

叔父さんは「泊まっていきな」と言ってくれたのだが、八王子のアパホテルを予約していたので、丁重にお断りしてホテルで一泊し、翌日高尾山に登り、楽しんだ後新潟に帰った。

嫁も良くこんな無計画な旅に付き合ってくれたなと思うが、久しぶりに夫婦2人で旅をして、私は楽しかった。妻がどうだったかはわかりませんが。

以前の私ならこんな行動はまずしなかった。
いつか叔父さんにはまた会えるだろうし、今無理に東京まで新幹線と中央線で行こうなんて思わなかっただろう。

しかし、3年前に父が亡くなってから私の考えは大きく変化し、自分はいつ亡くなるかわからない やりたいと思った事はすぐにやり、会いたいと思った人にはその時にすぐ会いに行く。
という風に思うようになった。

自分でもなぜまだ50代でこんな風に考えるようになったのかはっきりとはわからない。
だが、15歳で母が亡くなり、50歳で父を亡くした事が大きく影響しているのは間違いないと思う。

夏になり、私は以前から一度観てみたいと思っていた山古志の闘牛を観に行った。
去年、私は新潟県小千谷市に行き、錦鯉の里に行ったり、ラーメンを食べたり、小千谷の闘牛場に行ったりしたのだが、その日は闘牛のある日ではなく、誰もいない闘牛場でただその場の雰囲気だけを見て帰って来た。

私は何年も前から新潟県の闘牛に非常に興味があり、死ぬ前に一度は観たいと思っていた。
なぜそんなに闘牛に惹かれるのか自分でもはっきりわからないが、そもそも私の故郷には闘牛というものがなく、生で闘牛を観た事は一度も無かったのだ。
しかし私が新潟に2度目に(別の作品でその理由は書いています)来てしばらくして、中越地震が起き、その時に山古志村など中越の山間部が甚大な被害を受けて、山古志村で行われていた闘牛の牛たちも多く亡くなり、闘牛自体がしばらく行えない事態になったのを覚えている。
そこで初めて新潟には闘牛という文化があり、特に山古志村では人々の生活に欠かせないものである事を知った。

小千谷市と山古志村で行われる闘牛は、牛と牛を戦わせるものであり、試合が終わっても勝敗は決めないのだそうだ。この点も私が新潟の闘牛に非常に興味を持った理由の一つだ。 
純粋に1トン近い牛同士が角を突き合わせ、技の応酬を人々が観て牛と共に高揚感を味わう。これが私の考える闘牛の醍醐味だ。

私は新聞に載っていた今年の小千谷市と山古志の闘牛の開催日をiPhoneの写真に撮り、自分の行けそうな日をさがし、8月25日に山古志村で行われる闘牛を観に行く事に決めた。

もちろん一人でだ。
私は自分の興味がある事をしに行くのに一人で行くことになんの抵抗もない。
映画を一人で観に行くのは当たり前である。
好きなバンドのライブに行くのもほとんど一人である。

闘牛の行われる日、私は車で高速を走り小千谷まで行き、ラーメンを食べてから山古志村の闘牛場に向かった。
初めて行った闘牛場は思ったより広く、山の斜面を切り拓いたような場所にあった。
広い駐車場があり、設備は新しく、これらが地震の後に作られたのだろうことは明らかだった。

チケット販売所で「こんにちは」と暖かくむかえられ、坂道をしばらく登ると山古志の闘牛場があった。
闘牛場の外にはもうすでに大きな牛たちが何頭も居て、飼い主さんだろうか、が牛のそばで優しく牛の世話をしていた。

もう私はすでに感動していた。牛たちは思ったよりも優しそうな目をしており、これからこの牛たちが巨体をぶつけ合って闘うとはちょっと想像できなかったが、私は興奮した。

楕円形のような闘牛場を囲んでスタンド席があり、私は一人席に座って始まるのを待った。

しばらくして会長さんの挨拶があり、来場者への感謝と今年闘牛ができることへの感謝を述べた。

私は、山古志の人がどれだけ牛を愛して、大事にしているのか、100年(200年?)以上の歴史がある闘牛を大切に守って来たのかを知り、感動していた。

そして闘牛は始まり、次々と大きな牛たちが角を突き合わせて激突する迫力ある取り組みを観戦した。

解説の男性の巧みな司会により、牛に傷をつけないように自分も怪我をしないように取り組みを分ける技術について知る事ができた。

そして牛たちにも様々に個性があり、角を突き上げるのが得意な牛、首の使い方が上手い牛、若いまだ闘牛に慣れていない牛、ベテランの百戦錬磨の牛などそれこそ人間の相撲のように十人十色であることも知った。

「ヨシター‼️」の掛け声を勢子の人が牛に掛けながら鼓舞する姿も独特で見入ってしまった。

11時くらいに始まって、15時に終わったのだが、闘牛が終わると同時にものすごい雨が降り始めて、私はビビりながら山道を車で下り、また高速で新潟まで戻って来た。

時間にして4時間ほどなのだが、私にはとても長く感じられ、中身の濃い時間だった。

感想として、闘牛は素晴らしい‼️これだけだ。
観に行った甲斐があった。

願わくば死ぬまでに今度は嫁と一緒に見に行きたいです。
嫁は「絶対やだ」と言ってますけど。


長々とした文章読んで下さり、ありがとうございます。
今年の後半はバンドのライブに何回か行き、楽しかったのですが、その事はまた別の作品で書こうと思います。



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