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No.6「感謝されるということ」

「感謝されること」、これは生きていく上で最も大切なことである。
なぜなら、人にとって大切なことは自分が何をしたかということではなく、
どのようにどれだけ人に貢献できたかというアウトブットが何より大切だからである。人に感謝されたということは、大小様々あるかもしれないが、自分の行いが他者のためになったことの証になる。その点で、「感謝される」ということは非常に大切なのである。

行ったことに感謝を、見返りを求めてはいけないという人が多くいる。自分が進んでやったことなのだから、見返りを求めるな、みっともないと指摘する人だ。私は、この意見に真っ向から反対する。もし他者へ良いことをしたと自分が思うのであれば、他者に存分に「感謝」の見返りを求めて良いと思う。勿論、ここでいう見返りとは、金銭や現物のモノを求めているわけではなく、「あるがとう」の一言で良い。何故、「感謝」を求めてよいのだろうか。それは、「感謝」を求められるということは、それほどまでに他者のために行動した象徴と考えるからである。人は、この人のために良いことをしたと思わなければ、他者に感謝など求めない。例えば、自分で机から落とした消しゴムを拾って、人に「感謝」を求める人などいるわけがない。他者が落とした消しゴムを、他者のために拾って渡す時、「感謝(ありがとう)」を求めるのである。正直、他者が落とした消しゴムなど拾わなくても何ら問題ない。しかし、それでも他者のために替わりに拾うのだから、相手からの見返りを求めるのである。

裏を返せば、「感謝」の見返りを求めるからには、それ相応の行動が求められるということでもある。何もしていないのに「感謝」だけしてほしいというのはお門違い、またそんな考えは起き得ない。人に「感謝」されたいと思うからには、他者のために行動しているのだ。そして人に感謝されたい、見返りがほしいと純粋に望めば望むほどに、他者のために行動しなければならないという責任が生まれ、人の行動は他者のためにより尽くす行動へと変わっていくのだ。その他者のために尽くしていく行動こそ人生の本質であり、意義である。

この意見を言うと、見返りなんて求めなくても、良いと思うなら行動しろと反論してくる人がいるかもしれない。ただそんな人は嘘つきだ。人間は何もないのに、他者に尽くせるほど強くない。反論をしてくる人だって心のどこかで「感謝されたい」と思っているに違いない。感謝されたいという欲望を隠す必要など毛頭ないのだ。むしろ、感謝されたいという欲望を思うがままにむき出しにして、その分だけ欲望を原動力として他者への良い行動に繋げていくことが何より重要なのである。だからこそ、「感謝されたい」という想いが、「感謝される」ということが、人生において最も大切なことなのだ。

2022年3月30日 記

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