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図書館とボク

ボクは主に京都市中央図書館、京都市右京中央図書館、京都市下京図書館を使用している。時々京都市北図書館を使っている。最寄りは下京図書館だが、バイト先への通勤路沿いに他の二つの図書館が点在しているのでそちらの方が使用頻度が高い。出勤時に返却ポストに本を返して、帰り道にネットで予約した本を借りて帰る。最近は京都府立図書館を良く使う様になった。府立図書館は調べ物が出来る席もバリエーションが豊富で建物も古い洋館で雰囲気が素晴らしく良い。素晴らしすぎて申し訳ないくらいだ。居心地最高な上に蔵書数も品揃えも市立図書館より格段に上。開架してある本も厳選されたラインナップで「これ」という本が並べられている。保管状態も一段上と感じる。雑誌のラインナップもだいぶマイナーなものまで取り揃えてある。書庫から大量に本を閲覧用に持って来てもらっても嫌な顔をされない。専用のキャスター付きの本棚みたいな台車に乗せて渡してくれる。時間をたっぷり過ごして足りないくらいの気分になる。そういうスペースは稀だ。当然お金がかからない。なんと素晴らしい府民へのサービス。活用しない手は無い。しかし、その割に有難い事に席は空いている。図書館が空いているのは助かるが利用者率が低迷していては今後の存続が心配にもなる。

京都府立総合資料館という施設も何度か利用したことがあったが、ここも破格の広さで居心地の良い場所だった。こういう場所でくる日もくる日も調べ物をしてみたいと思わされた。廃棄物の歴史を調べていた時に使わせて頂いた。

図書館とボクの関係史の最初期は東京都立川市の図書館で野口三千三、竹内敏晴辺りの身体に意識が向いていて面白い言葉を使う人たちの本に出会った。大型書店でアンドリュー・ワイル、上野圭一、帯津良一、津村喬の同じく身体に目を向けていて、東洋医学や健康法について書かれた本に出会ってい、感化された。簡単にいうとスピリチュアル系。心身ともに絶不調だったので藁をも掴む勢いで本を漁っていたんだと思う。身体の不調の原因を読書で解明しようとするのはなかなかおかしな発想だけど面白くもあった。段々と自分の体調不良の原因を探ってるうちに社会の事にまで関心はは広がっていった。身体の問題と社会の問題は密接に関係してるという事に気付いたのは収穫だった。他には奇人変人列伝みたいな本が好きで良く借りては読んでいた。高円寺の古本屋さんで岩井寛の『ヒューマニズムとしての狂気』と目があった。精神医学を突き詰めて行った先に地域社会内の狂気の居場所を確保する事にまで議論が行き着いていて魅力を感じた。健全な狂気というものが、存在する社会もありえる様だった。その問題は地域の中にその発露の機会や場が足りない事。ユタなどは統合失調症の症状の先に辿り着く職能であると何かで読んだことがある。個人的にはキツ目のパニック障害を体験していた。その不安を如何に克服するかを考えていった結果、都市空間での情報摂取のあり方(東京の電車内の宙吊り広告で週刊誌の憎悪の渦巻く様な見出しの羅列を熟読してしまう癖とか)や、都市空間での沈黙の強制、お互いに対する無関心な態度の徹底、ベンチにホームレスの人が寝れないように真ん中に不要な鉄棒を、備え付ける事に代表される「居場所」「止まり木」を排除した都市空間、人間を阻害する為の壁こそが主体になって、内部空間を構成している様な都市空間、不安から菓子パンやパスタなどの炭水化物をドカ食いしてしまい、消化不良で満腹な状態が続いていたりして内分泌や血流が滞る事、身体が緊張と運動不足から硬ってしまっている事、労働に対する軽視、蔑視から社会の中に居場所を見つけられ無くなってしまっている事、牽制や防御や自己弁護の為に常に高速回転して無駄にエネルギーを消耗する脳や、性格の偏狭さからくる孤独や、浅い呼吸など、実に複合的な事情が絡み合ってパニック障害や不安の影にまとわりつかれている事を思い知り、そのもつれた糸を解きほぐす手助けとして、本に助けを求めた事が切実な読書のきっかけになったし、社会と身体を繋げて考える良い機会になった。精神病に救われたと言っても差し支えない。精神の病や不調はある種のナビゲーターの役割を果たすものだと思う。なので我読書の最初期は健康法から始まったと言って良い。

その過程で岩井寛の森田療法について書かれた本に出会う。本の本文はちゃんと読んで無いが、その本の冒頭に松岡正剛の紹介文が載っていて、その文章に胸を打たれて、ほぼ全文に棒線を引いてしまった程だった。何がそんなに良かったのかわからないけど、それでこの人は何者だろう?と意識に残って彼の書いたその他の本も読む様になった。松岡さんの意表を突く場所から融通無碍チックな感じで引用をして評論をするスタイルには憧れたし、影響を受けたし、何よりその領域横断的な知的好奇心の対象範囲の広さが「こんなに多岐にわたって興味を持っても良いんだ」という事と「その全てが有機的に繋がっているのが社会なんだ」という事を教わったのは松岡正剛さんの書物を通してだった。生の人間相手のコミュニケーションでは自意識過剰とか承認欲求のもつれからの高燃費コミュニケーションから疲弊してしまうが、読書はそれを、せずに他者の言葉や思想に触れる事が出来る。これは有り難かった。

道元禅師の愛語や、良寛さんの書や詩句、白隠禅師の健康法や逸話など、禅のお坊さんの事も読書を通して触れ合う事が出来た。精神の病には一番の導師が禅のお坊さん達だった。そもそも禅寺には社会生活で精神に不調をきたした人間が多く参禅していた様だし、今で言うクリニックの様な場でもあった様だ。

そこから、徐々に労働を頑張ろうと言う、事を考える様になった。禅は労働の中に多くの生き甲斐や、気づきを見つけようとする傾向がある。道元さんだったかな?が、中国に渡って偉いお坊さんが皿洗いかなんか、下働きの様な事をしているのを見て「なんであなたの様な偉いお坊さんがそんな下っ端の仕事をされてるんですか?」と質問して「なにいうとんじゃい、ドアホ!!これが大事なんやないか!顔洗って出直してこい!!」と一喝されて、ガーン!?ってなって、そっから、そういう下働きの様な、家庭での家事の様な事を軽視するんじゃなくて、その中にこそ、全ての修行も、悟りも存在している、秘められているんだ!という発想の転換が起こったって話とか、今でも曹洞宗の延暦寺?とかの修行で日常の作法に細かい規律があったり、それが典座教訓という思想に纏められている事とか知る。あと良寛さんの愛語と、白隠和尚の呼吸法の三点セットはナチュラルにパニック障害に対処したい人にはとても良い入門編になる様に思います。もう一点は炭水化物のドカ食いによる満腹状態と、情報摂取による脳の満腹状態を避ける事が大事というのが、気づいた事です。

自分には特に労働は精神疾患の特効薬だったと思う。それは家事も含む。家事は実は精神医薬品だと思って問題ない。家事に関しては幸田文の『台所のおと』やその他にも家事に関するエッセイが色々あるのでおすすめします。家事がお茶とかそういう一つの文化、嗜み、メディテーションの場として捉えられるようになります。

労働に関してはやはり、エリック・ホッファーの自伝の影響が大きかった。ホッファーは季節労働を、渡り歩きながら、労働作業の動作の中で思考しそこでの閃き、アフォリズムを構成して文章を書いた。アフォリズムは一種の思考上の宝石の様なもので、短い言葉の中に叡智の輝きみたいなのを発散している詩や思想の原型質の様な物だ。それを労働の作業の動作の中から発見できる事を知っていたホッファーに取って労働は宝探しや宝石探しの作業でもあったんだと思う。ホッファーが確か1日5時間、週4日労働、後の時間を独学に充てるライフスタイルを提唱していて、これは理想的な労働者像だと思った。ホッファーと同時期に谷川健一『独学のすすめ』を読んだ時期と晶文社と鶴見俊輔の本に平野甲賀氏のフォントデザインに導かれる様に読んだ時期が重なってそこから、また少し読書傾向が変わっていった。健康書は実用書だったが、それ以外にどんな本を読めば良いのか見当がつかなかった。良書がある事はわかるが自分の読書をどう作れば良いのかがわからない。山科の方にある羽毛布団に羽毛を充填するバイトをしていた頃に羽毛について何も知らず調べる事もしない自分に気付いた事がある。友人の展覧会が町の小さなカフェバーで開かれた際に、その本棚に野鳥の本があり、そこにいつも自分が充填している「ダック」とか「ぐーす」とかいう2種類の羽毛の分類などが書かれていた。虚無感と無関心に侵食された学習意欲が、微かに反応して、自分が末端で携わっている事なんだから、少しはその仕事の全体がどうなっているのかくらい興味持って勉強せなあかんな、とボソッと考えた。

それから暫くブランクの空いていた図書館通いが再開した。醍醐中央図書館が山科から伏見深草への住処への通勤路沿いにあった。しばしばそこを訪れて本棚をあちこち見る様になった。晶文社の犀のマークはブックガイドの役割を果たした。久保覚という編集者が晶文社の初代編集者小野二郎に宛てて書いた追悼文に魂を揺さぶられた事があった。岩井寛『森田療法』の松岡正剛の序文を読んだ時みたいに強い印象が残った。そこから、平野甲賀のフォントデザインと犀のマークは道標になった。鶴見俊輔の本と晶文社の本は近しい読書感をもたらした。労働者の読書への目配せの様なものがちゃんとそこにある様な気がした。アウトリーチ的というのか、研究や探究の成果を広く共有しようという意識があった。晶文社の本の中では『わたしたちの小さな世界の問題』がその後もずっと気になり続けている本だ。この本については明日以降に改めて書いてみたい。しかしこの時期の晶文社、鶴見俊輔を軸にした読書は充足感をもたらす読書ではあったけれど、それ以上の実生活の中での展開をする事が出来ず蓄積するばかりで発露する場面がないような感じもし始めて、次第に行き詰まりを感じたのか徐々にまた本から離れていった様に思う。

2009年、京都南丹市で住み込みで酪農の仕事をした。最寄りのJR八木駅近くに図書館があった。牛の境遇を見ていて、日本の学校教育や強制労働や人種差別や奴隷制度や被差別部落の問題や人権問題に興味が湧いた。牛と人間の関係に世界が凝縮して見えた。中沢新一が確か『緑の資本論』の中に狂牛病と9.11を関連づける文章を書いていた。道教か禅の「十牛図」は正に人間と牛の関係を通して人間の世界観の成長過程を描いたものだ。牛をどの様に捉えて扱うか?労働力として徹底的に搾取の対象として、全ての生の喜びを奪い尽くすのか、この地球に共に生きる仲間としてその生を尊重して、牛の幸せを願って理想的な環境の中で持続可能な酪農を展開するのか。残念ながらボクの職場は徹底的に搾取する思考で全てが貫通されていた。それでもそんな場だからこそ、そこに居られる人もいたし、そんな場だからこそ人知れぬ場で献身的に自発的に牛のケアをしているマザーテレサの様な方もいた。図書館には人権系の資料が豊富にあった。部落差別に関するものもあったし、蔑視語辞典の様な差別用語の事典まで揃えられていた。牛の問題は被差別部落の問題にも通底していた。屠場や皮なめしの仕事は職業差別の典型的な例に挙げられる。ボクの職場の中でも人間は牛の優位に立ち、更に人間同士でも鶏の世話をするもの豚の世話をするものに対して「豚のおっさん」「鶏のおっさん」などの言い方をする人もいた。差別の連鎖が見られた。労働時間も朝の5時から晩の7時に及ぶ事もあった。酷い労働環境ではあったが寒い冬の朝の暗い時間から300匹もの牛といるのは何故か安心する時間だった。羽毛布団の時と違って牛の問題は世界自体と対峙する事も出来る様な包摂的な何かがあった。パニック障害の時よりは切実度は低いが、牛はそれこそこの世界の文化を象徴する様な存在だった。ミルク、マクドナルド、焼肉、ステーキ、革靴、カバン、アイスクリーム、チーズ、生クリーム。人間が大好きで価値を感じる物が様々に牛から生産されてどれも非常に象徴的な存在感を世界の中で示している。ボクにとって牛は何よりも労働、労働者、労働観の象徴だった。

この仕事を一年で辞めてから伏見の家に戻り再び醍醐中央図書館に通いつめた。主に人権問題、環境問題に関するドキュメンタリー映画のビデオテープ、DVDを借りた。大阪の屠場の周辺の被差別部落の地域文化、地域での暮らしを紹介した『人間の街』(小池征人監督)『柳川掘割物語』(高畑勲監督)『水俣病』(土本典昭監督)『鶴見和子の遺言』『パトリス・ルコントのドゴラ』などにそこで出会った。特に『パトリス・ルコントのドゴラ』『柳川掘割物語』『水俣病』は繰り返し再生した。『水俣病』は怖くて正視できる自信がなかったので刺繍をしながら観た。予想に反して映像が静粛な美しさに溢れていて感動的なほどの作品で、重厚で「人間」を深く問い詰めてくる、人間を、強く感じさせる作品だった。『鶴見和子の遺言』の中の石牟礼道子と鶴見和子の対談はシンプルながら大事な事が凝縮された内容で藤原書店から書籍にもなって出版されている。『鶴見和子・対話まんだら 石牟礼道子の巻ー言葉果つるところ』という題で、これと赤坂憲雄と鶴見和子の対談集『地域からつくるー内発的発展論と東北学』はお勧めです。地振りのコンセプトの半分くらいは鶴見和子さんの議論を継承しているつもりです。『パトリス・ルコントのドゴラ』はカンボジアの労働者の労働風景をひたすら撮影編集した映画です。ここに労働交響曲としての世界みたいなものが描かれています。この映像の労働者たちの佇まいや普段着が作業着になった感じとか、美しいと思います。

そんな感じで牛の言葉を探す様に図書館の映像資料を漁りました。

その後、友人の紹介でごみ収集のバイトに就きました。ゴミはもう一歩生活に近く、毎日や地域と密接な「文化」だと思います。都市を考えてゴミに行き着いたケヴィン・リンチという大学者もいます。『廃棄の文化誌』という本を書いている最中になくなりました。最近もごみ収集に関する面白そうな本が2冊出版されました。『やっぱり、このゴミは収集できません ~ゴミ清掃員がやばい現場で考えたこと』(滝沢秀一著)『ごみ収集という仕事 清掃車に乗って考えた地方自治』(藤井誠一郎著)の2冊です。まだちゃんと読めていません。

そろそろ朝ごはんの支度をするので今日はこの辺で。明日は現在展示中のオンバシラのプロジェクト「もう一度グリグリと強い線を引く』に参加するにあたって行った図書館資料を駆使しての文献リサーチについてのお話を書いてみたいと思います。




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