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世の中は偶然に満ちている

『世の中は偶然に満ちている』これは赤瀬川原平の著書のタイトル。一昨日図書館で借りてきて、昨日パラパラ読んでみた。

僕は偶然が好きだ。偶然を信じてると言っても良い。偶然の影響を好んで受け入れて生きている。予想外のタイミングで発生して、突如として運命の軌道を変えてしまうもの、それが偶然だ。

僕はマイアミという名前で活動している。ちょっと変な名前だから初対面の時は、相手も僕も困ることがある。たまに、名前の由来を聞かれるけど、「由来」という程のものは特にないから、その都度、返答に困る。本家「マイアミ」はインディアンの古い地名らしいから、北海道のアイヌの地名の「札幌」とかと似てる。

かつて東京の、とある美術予備校に通っていた頃、クラスメイトのアパートの部屋に集まって、3人で酒を飲みながら「自分たちもアーティストネームが必要なんじゃないか?」と言って、冗談半分にお互いに名前を付け合っていた時の事。他の2人は「ハム」「ガム子」など、ふざけた感じの適当な名前が付けられていた。同じ様に、僕も「お前はマイアミ」と、何の脈絡もなく名付けられた。でも、それは案外良い響きだった。その「命名遊び」はあまり盛り上がらなかったんだろう。他に候補も上がらず、その場は終わった様に思う。そんなだから、僕自身とマイアミという地名とは、なんの関係も脈絡もない。友人の咄嗟の思いつき、というだけしか、説明しようがない。

『世の中は偶然に満ちている』は一昨日、京都市図書館で借りて来た本だ。「千円札裁判」の事が知りたくて赤瀬川原平の著書を調べていて、みつけた。「千円札裁判」とは直接関係ない本だったけど、面白そうだから予約して借りたのだ。序盤から、序文から面白い。極め付けに面白かったのが以下の偶然。

八月二十三日 (火)
【偶】すごく親しくしていた石子順造さんという評論家がいた。美術評論家で、漫画評論もやっていて、ぼくの千円札裁判でもしょっちゅう徹夜でいろいろ議論した。年は上だったが、まだ若かった。その人が癌になった。それまでにもさんざん病気をしていた。肺は切っているし、声帯も胃も痔も切っているが、気分だけはやたら元気な人で、人なつっこかった。夜中でも延々と電話で話したりした。
そういう親しい人が癌になって、亡くなった。癌というのは手の尽くしようがない。ぼくは石子さんの最初の本を装丁した。それに白い帯を張って「病気回復祈願」なんて書いて、石子さんの家はこっちのほうだな、なんて思いながらそれを置いて手を合わせたりしていた。本当は酒飲んでふざけ半分だったが、何とか元気に、みたいな感じでちょっと冗談でやっていた。それが亡くなられて、でもちょうどお葬式の日に天文同好会のメンバーと観測に行く計画があり、お葬式には行けなかった。で仕方なく喪章を買って、望遠鏡に巻いて観測に行ったりし、まあ、石子さんとの仲はそんなことでも許されるだろうと思って――ここまでは余談。
そのあと、石子さんの奥さんから葉書が来た。この間お葬式をして、いろいろお世話になりましたと書いてあり、そのあとに「桜子ちゃんへ」とあった。桜子がちょうど四歳ぐらい、石子さんにも四、五歳ぐらいの娘さんがいて、順ちゃんという。「うちの順ちゃんや円ちゃんはお父さんが死んで悲しがってたけど、いまは元気になって、うちの中に虫が入ってくると、あ、お父さんが会いに来たんだと言って歓迎しています」とあった。それまで虫とか、あまり好きじゃなかったらしい。現代っ子はわりとそうだ。 それを読んで、ああ、なるほど、なんて思って桜子が帰って来たら読んでやろうと思った。それで、「ほら、桜子、葉書来たぞ」って、うちの順ちゃんたちは家の中に虫が入ってくる……と読んだその「虫」と言ったときに、ポツーンと落ちた。「虫」という字の上に。ほんとうに字の上に落ちた。ハッとして見たら、黒くて右と左に赤い丸がひとつずつ、小っちゃいテントウ虫だった。その瞬間、ちょっと声が出なかった。桜子も四つだけど、ほんとにびっくりしていた。しばらくはボーッっとしていたが、「うわあ、偶然だなあ」とか言いながらまたつづきを読んであげる。でもよくよく考えると、科学的にいうとこれはただの偶然なんだろうけど、しかし偶然がいくつか重なっている、ちょっと重なりすぎているという気がする。「虫」と読んだその時に落ちてきたのが虫であるということ、しかも「虫」という字の上に。

『世の中は偶然に満ちている』赤瀬川原平著(筑摩書房)より抜粋

この偶然が凄すぎて興奮した。自分も偶然日記を付けてみようかと思った。赤瀬川さんにとってもこの偶然のインパクトは凄かったらしい。1981年の元日から「今日の偶然」という偶然日記を付け始めている。そこには短い「夢日記」も併記され始め《夢》と、【偶】という、二種類の記録が記される事になるが、なかなか「虫」のエピソードを超える偶然は起こらない。「他にも読まなきゃいけない本も沢山あるし」と思った。適当に開いたページの、一番最初に目についた偶然を読んで最後にしようと考えた。それで本の真ん中ぐらいのページをパッと開いた。一番最初に目に入ったのが1991年4月30日の偶然日記だった。そこに書かれていたのが以下の偶然だ。

【偶】ステレオ写真打ち合わせの会合のあと喫茶店を探すが、時間がはんぱでない。深夜喫茶の「マイアミ」をやっと探す。終電で帰宅すると、郵便局の「到着のお知らせ」がきていて、差出し人はマイアミ通販。怪し気なセールスらしい。

『世の中は偶然に満ちている』赤瀬川原平著(筑摩書房)より抜粋

僕は、本当に驚いた。

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