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自作小説「ねずみ年ちゃんず」#1

近年では、駆除される対象であったようなネズミをファンシーラットとして愛玩することもあるようだ。

「何が正常なんだよ」
工藤君は心のなかでそう呟いた。
小奇麗なスーツを着た四十代くらいの男性と、清楚な格好をした幼さが残る少女が、フロントでチェックインをしているのが彼の目に映った。
(確実に、風俗の天蓋か個人撮影とかのビデオ撮るやつか、出会い系のパパ活とかだろ)
親子、というには二人の距離は近く、少女は男性の腕をつかみ、キャリーケース越しに見える彼女のスカート丈は、デート服だ。
そんな二人を遠目に既に受付を済ませている工藤君は、ロビーでくつろいでいた。
冬場ともなれば、大勢の旅行客を受け入れる風光明媚な温泉旅館、彼はその場所にいた。クリプトカレンシーで一財を築くも直近FXで負けが込んだので、傷心旅行で温泉宿を訪れているのだ。
「退屈」
工藤君がぼやいていると、さっきの二人組が旅館の人に案内されてすぐ脇を通り過ぎた。
ふいに、男性の後を少し遅れて歩く少女と目が合った。
というより、彼女が首を傾けて覗き込むように工藤君のほうを一瞥した。
工藤君が驚いて視線を逸したのに気づくと、彼女はすまし顔になってニコニコしながら男性と何か話し始めた。
工藤君は思わず彼女のほうを大げさに二度見していた。
とんでもない美少女そこにいた。

大浴場へ続く綺麗に装飾された和風な内装の通路を工藤君は歩いていた。
もう日付がとっくに変わった時刻のためか、人気がなく空調の音だけが響いていた。
「いるし」
畳張りの休憩スペースに小さな紙コップを両手に持った少女が腰掛けて、足をパタパタさせている。
(かわいい)
髪を結んで浴衣に着替えているが、秒であの子だと分かった。
さっきのお返しとばかりに、工藤君は首を傾けて大げさに不思議そうな顔をして彼女を見る。
「あはは」
彼のことが間抜けに見えたのか、少女は思わず声を出した。
湯上がりなのか彼女のピンク色の唇は血色が良く首元も少し汗ばんで見える。
化粧を落としているようだが、くすみのない健康的な肌がパッチリとした大きな瞳を逆に引き立てている。
彼女が笑ったのに動揺しつつも、工藤君は目を伏せて歩き始めた。
心臓の鼓動が速くなる。
一目惚れするくらい外見が良い人に出会うと、人間は何もできなくなる。
「お風呂、もう終わっちゃってますよ」
目の前を通り過ぎようとする彼に、少女は優しい口調で言った。
男慣れしているような言い方に聞こえたが、声が若い。
「わたしが出た時、男湯は準備中ってなってました」
彼女は楽しいことでもあるかのようにニコニコしている。常時そうなのだろうか。
「それは残念」
唇を噛んで広角を上げて、精一杯の作り笑顔で工藤君は彼女に答えた。とにかく、彼女に嫌われるのが怖いと思った。
「わたしの部屋、露天風呂ありますよ」
目を丸くして上目遣いに言う彼女の瞳、よく見ると着色直径が少し入ったコンタクトが入っている。
「カラコンは外さないんですか?」
「見られた!」

冗談交じりに言う工藤君に対して、彼女は両目を手で隠して、少しのけぞりながら笑った。綺麗に並んでいる白い歯が見えた。
「一緒に来ている人いたじゃん」
「あの人もう帰ったよ」工藤君の問いに彼女は少し声のトーンを落として言った。
聞くところによると、一緒に居た男性は急用ができたらしく夕食を済ませるなり、彼女を置いて旅館を出ていったらしい。
ふわふわした質感の痛みのない黒髪、浴衣越しでも分かる胸とお尻の女性らしい膨らみ、華奢な手首と足首、アイドルのような顔の輪郭の先に見える耳の軟骨にピアスが2つ。
工藤君の視線を感じたのか、少女はまたニコニコして通常モードに戻った。
「わたしのこと見すぎじゃない」
「そりゃ、こんな可愛かったら見るでしょ」悪びれる様子もなく言う。
「客室露天風呂、俺の部屋にもあるから大丈夫」
美人局を警戒して、工藤君は会話も早々に立ち去ることにした。
「部屋どこなんですか?」
「どこって」きょとんとした工藤君に対して、少女は平然と言う。
「行ってもいいですか」
友達の家にでも行くような口ぶりにも、辛さを押し殺して平常を装っているようにも、ただの天然のようにも聞こえる。
しかし、工藤君の目には彼女が嘘をついているようには見えなかった。
(おいおい、どんなビッチだよ)
 
*
 
工藤君は夜の仕事をしている女性を知らない訳ではない。彼女はたぶんそうだと思う。
玄関で履物を脱いだ後そのままにする、自分の脱いだ服をたたまないで脱いだ下着をその上に投げて置く、そういう女性は素股で入れようとしても怒らない。
生でも怒らない女性は、
「あ、わたしピル飲んでます」
というパターンで、そのまま出しても「すごいとこに出したね」と言われて終わる。
熟れているのか、本能に逆らえないだけなのか、お互いに好意のある健康な男女が二人きりで居ると起こることが、なんの違和感も残すことなく起きた。
二人で工藤君の部屋に行き、一緒に露天風呂に入って、いちゃいちゃして身体を洗って、布団のうえでキスをしていたらそんな雰囲気になって、お互い拒まなかったので気がついたらしていた。
彼女はまたすまし顔でニコニコしている。カメラを向けたら笑顔を作るように訓練されたアイドルのように。
一息ついて、飲み物を取るため立ち上がると、工藤君は彼女の裸を隠すように布団を掛ける。
メリハリのある程よい肉付き、なめらかな素肌、なんの匂いなのか分からないフェロモンのような若い女性からしない凄く良い香り、工藤君にはどれも刺激が強い。
旅館の人が用意した氷水を飲んで、工藤君が口を開いた。
「一緒に来てた人は?」
「お客さん」
「風の?」
「やっぱり、そう見えます?」
「見えるってゆうか、格好が風とかリフレで天蓋やってる感あった」
ウールのトゥルンとした淡い色の生地の高そうなコート、胸の膨らみが見えるタイトなニットに膝丈のふわっとした花柄スカート、冬でも生足に短い靴下、髪の毛サラサラでメイクばっちり、幼い見た目に合わないブランドのバックを肩から下げている、工藤君はフロントで見た彼女のファッションを思い出していた。
「えー」
彼女は照れたようなあどけない表情をして笑った。
「何歳なの?」
「20歳ですよ」
「もしかしてねずみ年? 俺もねずみ年なんだよね」
「じゃあ、同じ年ですね♪」彼女はケラケラと笑った。
だらしなく無邪気な顔をする少女は、父親や彼氏に甘えているように見える。
男女の精神年齢を考えると、一回り上くらいが丁度いい。彼女の一回り上の年齢である工藤君は自分に言い聞かせる。
それから二人はお互い普段通りの会話をした。
工藤君にとっては初めて指名した女の子にするのと同じような会話。
彼女にとっても初めて指名してくれた人に対してするのと同じ会話。
「名前は?」会話の最後に工藤君が訊いた。
眠たいのか、くっきりした平行二重のラインが見えるほど目を細めて彼女は答えた。
「ゆう、ですよ」
源氏名なのか、本名なのか、ニックネームなのか、彼女は甘い吐息混じりの声で答えた。
「ゆうまん、可愛すぎ」
「まん、ってなんですか」
それから、二人の長い夜はしばらく続いた。
 

 2

数日後、工藤君はゆうのマンションに居た。港区のタワーマンションの上層階の3LDK。窓からはスカイツリーと東京タワーが同時に見える。ビルトインエアコンからは柔らかな暖気が流れている。家賃は月50万。ゆうは若くして親族からの相続により資産を持っており、その額は400億円。その資金を法人化した運用会社で運用をしているという。
彼女の知識は、工藤君を遥かに超えていた。
若さ、美貌、富、知識、そのすべてを彼女が持っていることに、彼は自分のこれからの人生にますます希望が持てなくなった。 
自分の目指すべき先とはなんなのか。自分が一生かけても手に入れられない資産と、もう取り戻すことができない若さ、そして自分以上の知識とルックスを彼女は、全て、既に、もっている。
「何が正常なんだよ」
目先の金に目が眩んで無計画に身体を差し出して年齢と共に落ちていくそれとは違う彼女を前にして、あまりに自分の想像を超える世界を見せられている。

すると、工藤君の足元に一匹のネコが纏わりついてくる。クリーム色の短足ミヌエットのようだ。かなりの美形で、眼は薄いシルバーだ。
「保護猫活動しているのですよ」
大きな開口部の窓からリビングに差し込む光に照らされて、白とチェックのエプロン姿のゆうが、オードブルを持ってキッチンから歩いてきた。エプロンの下はピンクのキャミソールとショーパン。生足で履いているのはブランドのスリッパのようだったが、それよりも彼女のふくらはぎの肉付きを彼は凝視していた。
ゆうの歩く先に目をやると、高そうなダイニングテーブルの上には、これまた高そうな赤ワインのボトルと、すぐ割ってしまいそう薄い硝子のワイングラスが2つ置かれている。
「ゆうまん、昼からやってんな」

工藤君はなぜいまここにいるのか。
工藤君にはあってゆうにないもの。それは投資の相場経験だった。ゆうには知識でしかないものが、20歳から相場をやっている工藤君にはある。経済危機の時の暴落の相場も、上昇相場の過熱ぶりも、為替のフラッシュクラッシュも、保有銘柄の上場廃止の動きも経験としてはあるのだ。
経験はお金を出してでも手にいれるべき財産であり、人は失敗という経験からしか学べないという説もある。
旅館でその話を聞いたゆうは、彼を少し必要とした。
・・というより彼女には既に自分で稼ぐ力があり、親の資産など煩わしいだけだった。自分が何も労せず手に入れたものには価値を感じず、なくなっても良いと思っていたし、大きな資金があっても決して満たされないものがあることを悟っていた。彼女は彼女なりに人生の身の振り方を思い描いていた。

「退屈なら、私のお金で良ければ一緒に運用しませんか? 法人化しているので雇いますよ♪」
ゆうはニマニマした表情で言った。工藤君は自分より12歳も下の女子にそう言われてイラっとするも、「ネズミって集団で貯め込むの好きそうだもんな」と、適当に思いついた言葉を口に出した。

工藤君の停滞し安穏した日常に変化が起こるのか。


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