万垢をやめる

朝起きてふと携帯を手に取り
自然と通知が来てないかを確認する

見慣れた数字マークも
今日はついていない

おすすめのツイートも
見慣れぬ英会話ニュース

そうか
僕は万垢を辞めたのだ

フォローもフォロワーも誰もいない

大体2年と3ヶ月

飽きっぽい僕にしては
なかなかに続けた方ではないか

あれだけよく見た顔も
頑張って探さなければ見ることもない

胸にぽっかり穴があく

という表現もよく聞くが

肩の荷がおりた

に近い

業界内でも殆ど見ることのない本質?は
まさに過去の自分を驚かせたものである

そこそこの刺激物である
過去の自分はそれを手にして喜んだ

その後、それを世の中にばら撒きたいという
欲求は自身を行動に駆り立てた

予想通りというか、ありがたいことにか
かなりの反響があった

多くの人にそれを手渡すことができた
感謝もされた(気もする)

一方で、自身の抱える注目と
それに伴うヘイトも手に入れた

自分達の仕事のあり方・本質?を伝えるのは
あの形が一番だと思う一方で

あの垢が
自分のやりたい仕事を後押しするよりは
枷になる方が多いと思っていたし
少し前からそれは確信となった

現実世界の自分とネット上の存在が
一体になることは考えられなかった

勘違いかもしれないが
自身が影響力を持てているようには
感じた

いいねは押されなくとも
フォローはされなくとも
見られているなというのは感じた
ヘイトによってフォローしない人も
フォロー解除する人もそこそこいて
フォロワー数以上に見られている
と感じていた

サイレントフォロワーも意識された

明らかに自身の発言の前後で
他の垢の発言や思考内容の変化が
見てとれたのは嬉しかった

それこそが一つの大きな目的であったから

加えて、
季節的な話題や
自身の趣味の話題も反響があったのは
楽しかった

これはそれ自体を共有する意図もあれば
仕事頑張れば手に入る物や
少し変わった楽しみ方や
お前ら仕事ばっかしてんなよ
ということを伝えたかったからだった

その意図は
十分に達成されたと思わないが
とりあえず楽しかった

また、
旧来の2ch的な懐古も目的で
それも楽しかった

電車男や恋空というような
ネット起点の文化もあり
当時あまりネットを使ってなかったので
羨ましく思え、
それを追体験できたような気はした

麻競は漫画化もされたし
文化が一周した感がある

アンケート機能や他アプリ連携、
アフィリエイトなども楽しかった

昔、友人に聞いた
マネタイズは
アフィか
ノートか
サロン

というのが
当時全く理解が不能であったが、 

ある種主体としてはやれたので
それも楽しかった

ある程度使いこなせた、、、
のかな?

オフも限りなく少数であるが
なくはなかった

結果的には4名かな
ハンドルネームで話するのに憧れ
垢名で呼ぶわがままも聞いてもらった

ありがたく
楽しかった

そんな風にやりたい事をやる中で
元々からのやりたい事は僅かとなった

残ったのは
・間違いの訂正・謝罪の大切さ
・論点ずらし
・ロジックの限界
の説明

そして
・大勢から責められることの体験
であった

その4点は
垢の強みと反する要素を持つため
ずっと躊躇っていた事だった

そんな中で
本当にたまたま短期の間に
立て続けにそれができた

ダラダラと続けるより
注目の集まる中で消えた事の方が
良いと思った

コロナも明け
新たな大きな動きもでてきた

辞めるという決心に
不思議と抵抗はなく
むしろ納得の方が大きかった

新たな挑戦をするためには
何かを捨てなければいけない

長らく肩に乗っていたものを置いて
僕はまた長い道乗りを歩き出している

もう僕はあの仮面をかぶる必要はなく
僕は僕としてだけ生きていける

みんなに申し訳ないと思うところもあるが、甘えるな、一瞬一瞬を大切に生きろ、自分で考えろ、と再三伝えてきているし、

界隈の人たちから時折見える影響の名残りを見ながら、また、その中で共感しあってフォローしあって仲間を作って、頑張っていって欲しいと思う

不安なこといっぱいあるけど
時間もいっぱいあるから
大丈夫だよね

力を合わせて一緒に歩けるよね
.
.
.
.
.
.
ひとつだけお願いがあります

いなくなってしまった人たちのこと、、

時々で良いから、、

思い出して下さい、、

________________

というのを一年前に書いてて
せっかくなので投稿しました
なつかしいね

思い出スクショも少し
(日付がわかるようにアルバムスクショ)


本当懐かしいね

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