ほぼ日 就活記録1/31

1月も今日であることを今日知った。。。はえー。あっという間だったなあ。ここ最近ずっと就活に追われているんだけどね。一日1日をなんかできることを少しずつこなしている感じかな。できないといか1日で完了しないこともありもどかしい思いもあるんだけど。

今日もそうかな。本当に少しずつしかやれていないなあ。それでも少しずつでもいいから、前に進む(ああたまには止まることもあるし、たまにはこれ無理とかなったっら、一歩後退してもいいかな)

今日は朝から淡々と作業していたなあー

ハローワークとリクルートとdodaから紹介された求人情報をエクセルにまとめて足りない情報は各企業のホームページを確認して補うみたいなこと。

初めてかな11日間だっけな、このブログを書き初めて、いいなあーって思った求人があったから応募してみた。まあ、どうなるかは分からないけど。

これまでは、物を作る・検査する・測定する いわゆる製造に近い職種ばかりに目がいっていたんだけど、違う切り口の職種があって、ああ、こんな形でも私がやってきたことが活かせるのではと初めて思った。

間口を広げて、さらに自分の直感もあった方がいいって思った。

今までとある業界で製造工場でプロセスエンジニアとしてやってきたけど、あんまり製造工場で働く姿を想像できない(製造工場での改善活動ではなくて、同じような業界で私と同じような悩みを抱えている人に何かを伝えられる方がいいのかなって。それが意味があるかはわからないんだけど

自信なさげだなー

でも超ネガティブ思考の塊の私が少しでもこう思えるようになったのはプラス

だから少しずつ就活を進める。

それと今日はリーダー研究の続きもしました。織田信長について信長公記を読み進めながら気がついたことをモレスキンにメモしています。

今日はさー

・織田信行謀殺 1557年11月2日の話

この話って、ドラマでもよく出てくる話なんだけど、織田信行が織田信安と共謀して信長の直轄領を奪おうと企んだことから始まり、信行の家臣であった柴田勝家が信長に信行が謀反を企んでいることを伝える。

そうしたら信長は病気のふりをしていっさい外に出なかった。それで信長と信行の母と柴田勝家が信行に信長の見舞いを勧めた。でそこへ信長が家臣である川尻と青見に命じて、信行を清州城で殺害したとある。

兄弟なんだけど、家を守るため、なるべく戦を避けて謀殺するのは当時としてよく行われていたみたい。

・永禄2年 信長上洛 の話

これも同じくドラマでも出てくる話だけど、これといったエピソードは描かれていなかった。将軍・足利義輝に謁見したのと京都・奈良・堺を見物したとはある。この時に堺を見学したのが、のちの信長の行動に活かされているのかもしれない。

・信長が好んだ「敦盛」という舞の話

これもドラマで何度も出てくるやつだー。でも意味とかよくわかっていなかったなあ。

人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり

人生は50年。仏教でいう化楽天の時間に換算すれば、夢か幻のように短くはかないものだ。

・桶狭間合戦の話

これはもうよく知られている話なので省略します

・信長美濃侵攻から稲葉山城攻略の話

意外にも太田牛一の記録の中では、桶狭間合戦から稲葉山城攻略までの記録が思ったよりも短く描かれていたかな(信長が美濃の国を制圧するまで約7年かかっているんだけど)。竹中半兵衛の稲葉山城乗っ取りの話や木下藤吉郎の墨俣城築城の話とかも出てこないし、織田・徳川の同盟の話も出てきていない。まあ読み進めるうちに出てくるかもしれないんだけど。

今日はここまでかな。なんか今日もあっという間だった。

疲れたからちょっと休んで、夕飯の支度します。夜は作業しないと決めています。メールも読まないし。パソコンも殆ど立ち上げない。メリハリ大事だし。






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