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ベランダから広がる地球 〜太公望 濱田健吾 後編

はじめに
この度ご紹介するのは濱田 健吾さんです。
世界的な問題となっている、食糧問題に日本の湘南から向き合い、解決すべく、今世界中が注目する農法・アクアポニックスの試験農場である、湘南アクポニ農場を営む彼。その優しさの奥にある情熱がどこから湧き出てくるのか、半生を聴く中で見えてきたお話をまとめました。
長文になりますが最後まで読み終えたとき、きっとみなさんの心にもその優しく熱い想いが沁み渡るはず。ぜひお付き合いください。

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濱田健吾

ベランダから広がる地球〜太公望 濱田 健吾
目次
【前編】
序章
1章 小さな太公望
2章 現実の打開案
3章 オーストラリア
4章 にわとりプロジェクト
5章 マイノリティ

【後編】
6章 再び宮崎
7章 妻
8章 東京での生活
9章 太公望とベランダの地球
10章 魚と畑の未来を見つめて
あとがき

6章 再び宮崎

 日本に帰り、学生時代の友人と久しぶりに飲んだ。大学時代バカなことをして笑い合っていた友との時間は、もちろん楽しかったのだが、当時とは違うなんともいえない整った彼らに、違和感を感じた。大学の頃はあんなにも面白く、良くも悪くも個性豊かだった友人たちは、社会人になったことをきっかけにすっかり不自然に整えられており、型にハマってしまったように感じた。「社会人になるとはこういうことなのか?」「就職活動と新人研修で、彼らに何が起こったのだろう?」と思ったことは、今でも忘れられないという。とはいえ、仕事はしなければならないと、宮崎県の学習塾に就職した。小さい会社だったことや、教えることが好きだったこともあり、仕事は素直に楽しかった。
 夏のある日、仕事終わりに焼肉屋に行った。偶然にも友人がおり、声をかけた。その時一緒にいたのが、現在の妻である。妻はアメリカ人で、中学校で英語を教えるというプロジェクトで、宮崎県に滞在していた。その任期も3月には終了しアメリカに帰国する予定で、帰国後に住むアパートももう決まっていた。濱田に出会い、その後交際を決意すると同時に、彼女は帰国後の計画を全てキャンセルし、日本滞在を延長することを決意した。
「わたし、もう少し日本にいるわ」
と言い、宮崎県の英語塾に就職を決めた彼女を前に、大きな感謝と愛情と共に、違和感を感じた。日本語をあまり話せない妻が宮崎でできる仕事は、英語塾しかなかった。
「自分といるために宮崎にいることを決めてくれた。でも、彼女のキャリアは、英語を教えるために重ねてきたわけじゃない。彼女はもっといろんなことができる。彼女がおもいっきり働ける場所はどこだろう?」
その時濱田の頭に浮かんだ場所が、東京だった。
「妻があんなに悩んで日本にいることを決断してくれたんだから、僕も腹を括らないと!東京に行くしかないって。一緒に行こう!って言ったんですよね。」と、当時を振り返る濱田の目は、今でも当時の意志を宿しているように見えた。

7章 妻

 男女同権という言葉がある。男性も女性も同じ「人間」として同等の権利をもち、社会的な地位や法律上の権利が男女で区別されないことを表す言葉だ。濱田はこれを 
「言うは易くだが、本当にやるのはめちゃくちゃ大変だ」と笑いながら話す。
彼の妻はこれを徹底的にやる。男とか女とか、ステレオタイプで話す人を目の当たりにすると、いても立ってもいられなくなり、「それは違う!」と相手に訴え、ついには喧嘩になることもしばしばある。
 徹底的にとはどういうことかというと、例えば、彼が起業を決意したとき
「家事は俺がやるから、起業させて欲しい!」とかけあったところ、
それならどうぞと承諾してくれた。それからの3年間、洗濯以外の家事は全て濱田がこなしたという。
「やりなさい」とも言われないが、「ありがとう」とも言われない。男女同権とは、互いが家事・育児においても平等な役割を担っているので、お互いに今自分が家族にとって何をすべきかを考えて行動するという考え方なのだ。
 これも素敵だと思ったのが、濱田家での評価軸。濱田家では「いくらお金を稼いだか」ではなく、「どれだけ家族に貢献したか」がそこで問われる。家事ももちろんそうだが、子供たちと遊んだり絵本を読んだりする時間に重きが置かれている。収入が上がろうが下がろうが、全く興味を示さない彼女は、例えば、お給料が上がったり昇進したことを話すと「ありがとう」ではなく、「 I proud of you. よかったね。」と口にする。あなたがあなたの仕事の中で頑張ってその結果を作り上げたのね。誇りに思うわ。よかったね。なんとも本質的で、的確な言葉である。好きなことを仕事にし、家族を共に養い、お互いの人生を尊重しながら、共に生きていきたいという彼女の考えは、わたしにはとても新鮮で、働くこと、暮らすことの本質を捉えた考え方のように思う。

8章 東京での生活

 東京に来て、株式会社タウに就職し海外で新規事業を0から立ち上げるという仕事をした。そんな中、今でも印象に残っている言葉がある。当時ロシアでコスメブランドを立ち上げる事業を担っていた濱田。その事業を強く応援してくれたのが、ロシアで大きなコスメ会社の副社長をしていた女性だった。その人自身有名ブランドをロシアに流通させた立役者として、とても有名な方だった。彼女が「ムラサキジャパン」と名付けられた濱田のブランドをとても気に入り、事業を後押ししてくれたこともあり、「ムラサキジャパン」は一気にロシア中に広がった。結果、初年度にして資生堂やカネボウなども含めた、日本コスメブランド売上ランキングの中で、「ムラサキジャパン」は3位にランクインした。正直すごく売れた。その濱田の尽力を隣で見ていた、ロシア人の部下が呟いた。
「濱田さんどんな権威がある人にも、私に対しても、いつも話すトーンが変わらない。そこがとても魅力的で、周りの人間はとても嬉しいですよね。」
この言葉が今でも忘れられない。

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 自分の中に35歳くらいで起業したいという思いがあった。より深く経営や事業について学びたいと考えた彼は、その当時、飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長していたAmazonに転職した。しかし、入ってみると彼が考えていたそれとは違い、仕事は膨大な量の単純作業、毎日ひたすらテニスのラリーをしているように感じた。もしかしたら、その先に面白い仕事があったのかもしれないが、この単純作業がどうにも性に合わず退職した。
 その後、中古バイクの買取を生業にしている、フジホールディングスが経営を任せてくれると言ってくれたので、入社した。2年ほど働いたころ、やはり起業したい旨を社長に伝えると、それはいい!とすぐに賛成してくれた。食べれるようになるまでは大変だからということを知ってか知らずか、事業が軌道に乗るまでの数年間、非常勤経営アドバイザーという役職を作ってくれ、月に1回の経営会議に参加するという仕事をくれた。今でも濱田は当時の社長を恩師と仰ぎ、連絡を取り合い、会う時間を楽しみにしている。

 
9章 太公望とベランダの地球

 哲学者・三木清は「人生においては何事も偶然である。しかしまた人生においては何事も必然である。このような人生を我々は運命と称している。」という言葉を残している。濱田とアクアポニックスとの出会いもまた、運命としか言いようがないように思う。
 大人になっても釣りが好きだった濱田は、ある時アマゾンの大物「ピラルク」を釣りたくなり、なんとなくネットサーフィンをしていた。アマゾンの釣り場を調べ、ピラルクを調べていると、とあるブラジルのピラルク養殖場のホームページに行き着いた。見てみると、ピラルクを飼っている水槽の排水を隣の畑に撒くと、野菜などの植物がやたら元気に育つという奇跡のような内容だった。
「そんなことあるんだ。魚を育てて野菜が育つってすごいな。」
妙に興味が湧いた彼は、WEB上でその興味をどんどん深めていく。すると、意外にもその奇跡は決して奇跡ではなく、なんなら農法として確立されたものだった。アクアポニックスとの出会いだった。
 アクアポニックスを知れば知るほど、今度は好奇心がどんどん掻き立てられていった。調べてみると、割と簡単に家でも出来る事を知った。こうなるともう止まらない。早速ホームセンターで必要な資材を集め、庭のプランター菜園の隣に小さなアクアポニックス農場を作った。幅100cm、奥行き60cm、高さ80cm。下段は水槽で鯉を飼い、オーバーフローポンプで吸い上げた魚から出たアンモニアを含む水を上段に吸い上げ、途中微生物がそれを分解し、上段の植物ベッドにその栄養満点の水を送る。すると、その栄養を吸収した植物は生き生きと元気に育ち、キレイになった水がまた、魚の水槽に戻る。土づくり、水やり、肥料、草取り、水槽の水換えは要らず、人間は魚にエサをやることと、蒸発した水を足すくらい。濱田家のベランダに小さな生態系ができていた。小さな地球に感動した。

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また、隣のオーソドックスなプランター菜園とは見え方が違った。その中に生態系があるアクアポニックスでは、植物につく害虫や病気を防ぐための農薬や成長を促す化学肥料が、魚や微生物の健康を阻害する。この管理の違いをとにかく面白く感じた彼は、子どもたちにもこれを見せたくなり、近所の幼稚園に無償でこのアクアポニックス農園を設置した。すると、魚を見た子どもたちが大喜びする以上に、意外にも親たちがとても感動し、興奮してくれた。それを目の当たりにした濱田は、アクアポニックスに未来を感じた。商売になるかはさておき、これを仕事にしたい。ダメだったらサラリーマンに戻るなり、他の道を探せばいい。と、起業しアクアポニックスを広げていくことを決意した。
 その決意を話した時の妻の反応を彼は覚えていない。それほど自然でそれほど軽い反応だったという。彼も彼女に対して常にそうであるように、彼女はいつでも、彼らしい生き方を応援している。

10章 魚と畑の未来を見つめて

 2014年に日本初のアクアポニックス専門企業「おうち菜園」(2020年に「アクポニ」へ社名変更)を創業した。起業当時は日本でのアクアポニックスの認知度はほとんどなく、インターネットにも日本語の情報はほとんどなかったので、自らアクアポニックスを学べる学校「アクアポニックス・アカデミー」を開講した。

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より伝わりやすいようにと、ブランド名を「さかな畑」と銘打ち、家でもアクアポニックスを手軽に楽しめるように家庭用アクアポニックスシステム「アクアスプラウトSV」を開発販売し、個人向けのアドバイスなどをまとめ、ブログでとにかく情報を発信した。そこから得た情報やニーズを元に、反応してくれる人に対してサービスや商品を展開させていった。すると次第にメディアに取り上げられるようになり、徐々に法人からの問い合わせが増えていく。彼の凄さはここからで、商品や情報を提供するだけではなく、それを受け取った人が、その時彼に必要なスキルや、人脈を紹介してくれるという点だ。「ここはこうしてみるといい」とか、「こんな人がいるから相談してみるといい」とどんどん人が人を呼ぶ。集まった人たちもまた、彼の真っ直ぐな人柄に惹かれ、アクアポニックに未来を感じているのだと、わたしは感じる。
 事業を始めて1番印象に残っていることは?という問いに、彼は
「アクアポニックスを仕事にしてから、とにかく人との出会いが多く、そのどれもがとにかく印象的なんですよね。人に助けられていると強く感じる。本当にありがたいことですね。」とはにかんだ。

 さかな畑を開業してから3年が立った頃、より深い知識が必要だと感じた濱田は、すでに商業レベルでアクアポニックスが広がっているアメリカに渡り、約2年間滞在、アクアポニックスについて最先端の研究をしている現地の大学や農場で学んだ。そこでは潤沢な水資源がある日本での需要とは全く違い、乾燥地帯などの深刻な食糧難を解決すべく集まる研修生たちに出会った。刺激的な仲間たちから切実なニーズを肌で感じるうち、濱田の視座はどんどん高くなっていき、「今アクアポニックスが日本で出来ることは何か」「自分がどうすれば食料問題の解決に繋がるのか」を追い求めるようになる。

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 帰国後、神奈川県よろず支援拠点の紹介で知り合ったことをキッカケに、2020年11月に神奈川県藤沢市に湘南アクポニ農場を開設。試験栽培を行いつつ、見学会を行ったり、企業向けに農場の導入支援を行ったり、学生の研究場所として無償提供したりすることで、アポアポニックスの日本での認知度を広げている。
「日本でできることはまず広げていくこと。アクアポニックスの価値を体感してもらうとアクアポニックスは広がっていく。それにこれのすごいのはとても小さなスペースでできるんです。誰でも挑戦できる。誰でも生産できる。どんどん生産する人が減っている日本で、『わたしは生産者です』と言える人が増えるといいなと思っています。」と彼は話す。
「観るのも楽しいし、働くのも楽しい、食べるのも楽しいし、売るのも楽しい。アクアポニックス農場が人のクロスポイントになってつながりどんどんうれしくなる人が広がっていくというイメージを形にしたいですね。」とも。

 そして、濱田とアクアポニックスは世界のステージへ進んでいく。
なんとも幸せで、笑顔の溢れる、夢のような彼のイメージが決して夢ではなく近い将来、世界中の笑顔につながることを強く感じる。

あとがき

まず、最後まで読んでくださって心からありがとうございます。
太公望の言葉に「覆水盆に返らず」という言葉があります。「こぼれ落ちた水は決して器には戻らない。」といういみの言葉ですが、濱田さんのお話を聞いていると、どんどん想像が広がって、きっとこぼれ落ちた水を糧にして、新しい目が生まれ、それは人を癒し、また糧となって、大きな命の輪を繋いでいくのかもしれないと思うと、何てハッピーな言葉なのだろうと思うようなりました。
 先日濱田さんが養殖しているティラピアがイズミダイと言う名前で、日本でも市販されていることを知り、早速近所のスーパーで購入して食べたのですが、これがめちゃくちゃ美味しい。タイという名前がつくだけあって、白身で透き通ったサッパリした味で、おじいちゃんおばあちゃん、子どもたちを含め、全員これが1番美味しいという話になり、あっという間に完食しました。主婦として日々家族が口にする食材を選ぶ自分だからこそ、安全で安心かつ美味しい食材を選びたい。それがいつか世界中の子どもたちの笑顔に繋がっていくかもなんて、濱田さんの作り上げていくその幸せな輪に入れると考えるだけで、とても心が暖かく優しい気持ちになれるように感じます。アクアポニックス産の食材が、当たり前に食卓を彩る日がとても楽しみです。

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interviewer:masaki
writer:hiloco Nakamatsu

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