令和元年予備試験論文再現答案 憲法

問題を見た瞬間、エホバの証人剣道実技受講拒否事件の判例をベースにしていることが分かる問題でした。

しかし、現場で重視したことは、同事件の事案と今回の事案のどこが共通していて、どこが違うのかという点です。そして、どのように事実関係を憲法論として組み立てるかということです。

第1 権利の保障
1  Xは,A国民の女性であり,日本「国籍を有する」者ではない。憲法第3章に規定される基本的人権は,「国民」に保障されると規定されるところ(憲法11条),外国人であるXにも,憲法上の権利が保障されるか否かが問題となる。
(1)  憲法は,国際協調主義を採用している上(98条2項),基本的人権には前国家的性格を有し,国籍を問わず普遍性を有するものもある。そのため,権利の性質上日本国民のみをその保障の対象とする場合でない限り,外国人にも,等しく権利の保障が及ぶと解される。
(2)  20条1項前段は,「信教の自由」を保障する。信教の自由は,特定の宗教を「信仰する」という内面的精神活動のみならず,個人の日常生活における行動規範となって,外部的な行動としても表れる。そのため,宗教的行為の自由も,保障される。そして,宗教的行為は,宗教的価値観に基づき,これに反する行動を強制されないという消極的側面も含む。
 また,宗教は,前記の通り,個人の価値観,世界観を基礎づけるものであり,国籍にかかわらず人間の精神活動ないし行動原理となる。そのため,権利の性質上,日本国籍を有する者のみを対象とするものではない。
ゆえに,外国人にも,信教の自由が保障される。
(3)  本件で,XはB教の信者であるところ,B教には戒律がある。そのため,XがB教の戒律に反する行動を強制されない自由は,「信教の自由」にあたる。
2  したがって,かかるXの自由は,憲法20条1項前段により保障される。
第2  乙中学校長が代替措置を採らなかったことの憲法適合性について
1  B教の戒律には,女性は家庭内以外においては,顔面や手など一部を除き,肌や髪を露出し,あるいは体型がはっきり分かるような服装をしてはならないとされていた。
ゆえに,B教信者の女性は,家庭内以外で顔面や手を除いて,肌や髪を露出し,あるいは体型がはっきりわかるような服装をするのは信仰に反する行動をすることになる。そのため,かかる行動を余儀なくさせられる場合は,Xにとって,B教の戒律に反する行動をさせられない自由を,事実上実質的に制約されることになる。
 乙中学校長は,水泳の授業については,代替措置を一切とらないこととした。学校の成績は,調査書の評定の基礎として,その後の進学という進路選択に影響を与える。Xは,県立高校への進学を予定していたが,調査書の低評価により不合格となり,経済的事情も相まって進学を断念せざるを得なくなった。そうすると,Xは,代替措置がとられなかったことで,B教の戒律に反する行動を拒否したことで,県立高校への進学を断念せざるを得なくなるという実質的な不利益を被っている。これは,実質的にみて,B教の戒律に従った行動に否定的評価を与え,これに反する行動を強制する効果を与えるものである。そのため,Xの上記自由に対する制約がある。
2  合憲性判断枠組み
(1)  乙中学校長が代替措置をとらなかったことの憲法適合性の判断枠組みについて,参照されるべきは,エホバの証人剣道実技受講拒否事件である。かかる判例によれば,学校の生徒に対する成績評価等にあたっては,学習指導要領に基づき,教育目的を達成するため,校長の合目的的裁量が認められる前提に立った上で,宗教の信仰が社会生活のあらゆる側面に表象することから,例えば必修科目の受講拒否が信仰の核心部分に密接に関連する真摯なものである場合は,代替措置を採ることの可否について慎重な考慮を要し,裁量は狭くなる。また,本件は退学処分といった生徒としての地位が剥奪されるような不利益の重大性がある場合は,代替措置の必要性が認められる。
 かかる場合に,代替措置が可能であるにもかかわらず,措置を講じなかった場合は,裁量権の逸脱濫用が認められ,ひいては憲法20条1項前段に反する。
(2)  以上のような判断枠組みが本件に妥当するかについて,本件は外国人であるXに関する事案であり,あくまで外国人の人権が在留制度の枠内で認められる以上,教育上の措置にかかる校長の裁量が狭くなるという上記判断枠組みは妥当しないとの見解があり得る。
 しかし,かかる見解の依拠するマクリーン事件判決では,制約される権利が権利の性質上保障されないものであった。他方,本件は,信教の自由という外国人にも等しく保障される権利に対する制約の合憲性が問題となっている事案であるから,上記のような反対の見解は妥当でない。
(3)  したがって,本件は,エホバの証人剣道実技受講拒否の判断枠組みに従い判断されるべきである。
3  本件へのあてはめ
(1)  まず,Xの乙中学校における水泳実技の受講拒否が,信仰に核心部分に密接に関連する真摯なものといえるか否かという点について検討する。
 前記の通り,Xの信仰するB教の戒律によれば,女性は家庭内以外において顔面や手など一部の部位を除き,肌や髪を露出し,あるいは体型がはっきり分かるような服装が禁じられる。そうすると,学校の水泳実技の際に着用する水着は,通常,露出が最小限のものでも,性質上「体型がはっきりわかる」ものしかない。そして,かかるB教の戒律は,B教における重要な戒律であり,B教信者にとっての行動規範という核心部分に関わるものであったといえる。ゆえに,水泳実技を受講すると,必然的にかかる戒律の禁止事項に反する行動を余儀なくさせられる。
 そうだとすれば,Xが乙中学校側に対し,水泳の実技について参加できないこと,その代わりにプールサイドでの見学及びレポートの提出という代替措置を要望したことは,信仰の核心部分に密接に関連する真摯なものであったということができる。
(2)  次に,本件において,乙中学校において代替措置を執ることが可能であったか,ないしは執らないことに合理的理由があるか否かについて検討する。
 ここで,代替措置を執らなかったことの合理性を主張する立場として,信仰に配慮して代替措置を執ることが教育上の中立性に反すること,代替措置の要望が真に信仰を理由とするものかどうかを判断することが困難であること,乙中学校にはB教徒も相当割合いるところ,戒律との関係で葛藤を抱きつつ水泳に参加している女子生徒がおり,公平性を欠くこと,他のB教の女子生徒が同様の要望をして,もはや水泳の授業が成り立たなくなり成績評価に支障が生じるといった根拠が挙げられる。
 しかし,たとえ生徒であっても,個人主義の観点から,信仰の自由を保障されるのであるから,個人の信仰に配慮した措置を検討し,場合によって当該措置を具体的に講じることが直ちに教育上の中立性に反することにはならない。また,代替措置の要望が真に信仰を理由とするものかは,B教の戒律の内容に照らせば,客一応の合理性があることは客観的に判断することができ,必ずしも判別は困難でない。そして,B教の戒律を徹底するかは信仰の程度によるのであり,より信仰を深めようと戒律を遵守しようとする者が,そうでない者によって妨げられるのは不当な結論であり,相対的な措置が講じられるべきである。他のB教徒の女子生徒も同様の要望を行う可能性があるとはいえ,生徒の4分の1がA国民である乙中学校において,その全員がB教の信者とは限らないことを考慮すると,さほど現実的に水泳の授業の実施ないしは成績評価が困難となるほどのものとは思われず,観念上の想定に過ぎない。
 他方,成績評価の仕方は,プールサイド見学あるいはレポートの内容の定め方,点数換算の仕方によって,十分に公平な評価をする方策は可能である。そして,Xは,水泳以外の保健体育の授業及びその他の学校生活では,服装に関して特例が認められた上,他の生徒と同様に参加していたにも関わらず,水泳の授業に参加しなかっただけで高校への進学を断念させられ,人生の1つの選択を奪われた不利益は極めて重大であり,代替措置の必要性は高い。
(3)  以上より,Xの水泳授業受講拒否は,信仰の核心部分に密接に関連する真摯なものであり,不利益の重大性から代替措置が必要でありかつ可能であったにもかかわらず,代替措置をとらなかったことは,裁量権の逸脱濫用がある。
4  したがって,乙中学校長が代替措置をとらなかったことは,憲法20条1項前段に反する。
                            以上

【順位ランク】A

現場では、憲法20条1項前段で検討しました。他方で、後段が適切ではないかという見方もあります。しかし、評価はAだったので、さほど大きく影響はしなかったと思われます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?