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そこそこの満足は、成長と自己実現の最大の敵

オッさんこそ、あらためてビジョンを立て直そう。

最近こんな話ばかりしてますが、先日登壇したCybozu Daysで良い図を見たので、あらためて。

なお、以下「オッさん」部分は、大人・中堅・ミドル・中年など皆さんの好みに合わせて、適宜読み替えてください

こちらは先日のCybozu Daysでジーンクエスト高橋祥子さんが紹介した図なのですが、これがきわめて秀逸でした。

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左の図のように、自分が期待する世界と、リアルな世界が同じだと、ギャップが生まれない。だから「なぜ?」という疑問が発生しないし、主観的命題(自分なりの判断や主張)を認識しにくい。

一方で、右の図のように、リアルな世界と自分が期待する世界にギャップがあると、「なぜ?」という疑問が生まれる。だから、主観的命題(自分なりの判断や主張)を認識するようになる。

若いときは、こうなりたい、こうしたい、こうでなきゃダメでしょと、理想や目標を持ちやすい。なぜなら、「できないこと」「満たされないこと」がまだまだたくさんあるから。

そして、理想・目標とのギャップを埋めることが、働くことや生きることへの原動力になる。いわゆる成長欲求だ。

ところが、オッさん(大人・中堅など適宜読み替えてくださいね)になると、この成長欲求が弱まっていき、「やる気がない」という状態になりがちだ。

これは図の左の状態になってしまうからだが、その原因は大きく2つあると思う。

1. 自分が成長したことで、ある程度のものを手に入れてしまったから。

2. 理想・目標を無意識のうちにアジャストしてしまうから。

1については自分が成長した証なので、けっして悪いことではない。やっかいなのは、2の方だ。

オッさん(大人~以下略)になる過程で、現実を知り、世の中の不条理を知り、理想を実現することの難しさを知る。若いときに描いていた理想像は手に入れることができないと悟る。

そうして、自分が期待する世界 ― 理想 ― を現実に合わせてどんどんアジャストしてしまう。すると、いつの間にか左の図のような状態になってしまう。

ギャップがなくなってしまい、疑問が生まれず、主観的命題を認識できなくなってしまう。要は、やる気がなくなってしまうのだ。

つまり、現状に満足した状態では、埋めるべきギャップがなくなり、成長欲求を持てない。その「満足」は「そこそこの満足」であり、本当の理想を実現したワケではないにもかかわらず、自己実現に向けたやる気が起きない。

自分の経験に照らしても、40~45歳くらいで、20代のときに描いていた理想(をアジャストしたモノ)に近づいてしまったことで、成長への貪欲さよりも、役割をまっとうすることへの責任感の方が大きくなってしまった。

成長欲求を感じなくなってしまったのだ。

『加齢とはそういうもの...』と思いがちだけど、年齢を重ねても貪欲に成長を追い求めている人もいるわけで、年を取ったことが直接の理由ではない(と後で気づいた)。

これからどうしていこうか悩んでいるという人に、人生ビジョンの大切さを繰り返し繰り返し伝えている理由はここにある。

オッさんになり、ある程度思い描いていたモノを手にしてしまったなら、自分が期待する世界観を、もう一度描きなおす必要があるのだ。

自分が思い描く世界観、理想を描けば、現実とのギャップが生まれる。ギャップを認識すると、人間は自然とそれを埋めようとする。つまり、やる気が生まれるのだ。

理想を描きなおそう。

と言っても、非現実的な理想を掲げよ、と言っているわけではない。

現実を知ったオッさんは、非現実的な理想を掲げたところで、冷めるだけだ。現実を踏まえつつ、それでも自分が大事にしているコトを、人生で実現・達成している姿を思い描こう。

それは若いときとは違うものになるはず。

社会的評価よりも、自分の心地良さを重視しよう。

即物的なことよりも、抽象的ながら「ありたい姿・状態」が思い浮かぶと思う。

その「ありたい姿・状態」こそが、ライフビジョンです。

世間体や社会的・倫理的な正しさではなく、自分の感情と価値観を表した人生ビジョンを描こう。そして、現状とのギャップを埋めるべく、また新たな歩みを進めよう。

急に言われても、思い浮かばない?

だったら、強制的に図の右の状況に身を置けばいい。

不慣れな世界、いつもどおりが通じない世界、違和感を感じる世界。そういうカオスな世界に身を置けば、イヤでも「なぜ?」が生まれる。

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なぜこうなってるの?(おもしろい)
なぜそういう発想になったの?(ちょっと受け入れられないな)

何も大きな動きをしなくてもいい。いつもなら行かない場や集まりに行ってみる、参加してみるだけでもいい。いつもならやらないことを試してみるだけでいい。イヤならやめればいいし、心地よいならもう一歩進んでみればいい。

そうやって自分の感情を揺り動かし、その感情を見つめることを繰り返して、自分の価値観を確認していく。

そうすれば、自分がどんなことにワクワクするのか、どんな状況なら輝けるのか、逆に何にストレスを感じるのか、そういったことが見えてくる。

そこそこ満足、だいたい想定どおりの世界にずっとい続けると、そういったことが見えなくなってしまう。

そこそこ満足に安住していると、いつの間にか自分を見失ってしまう。他人の期待を慮り、期待に応え続けていても、自分の理想には近づけない。幸せにはなれない。

死ぬときの後悔第1位は、「もっと自分に正直な人生を送る勇気をもてば良かった。だれかの期待に応えるような人生を送るのではなく」だそうだ。

自分の理想に正直になる勇気を持とう。
ライフビジョンを描きなおそう。
カオスな世界に身を置こう。
Push yourself out of your comfort zone.


「カオスな場に身を置く」以外にも自分の主観的命題や価値観を確認する方法はあります。ステップバイステップで解説している記事はこちら。


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