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『出雲とヤマト』、国譲り考察

古事記の『国譲り』とは。。
これが前から気になってて神話の話なので、これがそのまま歴史に繋がるわけではないかとは思ってます。
只、古代日本の歴史の何かをベースにして作ったのではないかと思うんですよね。

邪馬台国、卑弥呼、ヤマト、神武東征、ニギハヤヒ、ナガスネヒコ、大物主、オオナムチ、あとはやたら多く神様の名前が出てきますよね。
ゴチャゴチャにして、敢えて分からんくしてると思うんですけど、其れ以外の理由って何かあるんかな。紀記でも違うと聞きますし。

去年、ある方から物部氏のことを聞いて、それから物部氏、古代日本史を調べ出しました。少し前に関裕二氏の「消された王権物部氏の謎」を読み、大神神社がどういうところか気になり、奈良の大神神社に行きました。ここは三輪山を御神体にしていて、ニギハヤヒが祀られています。人々は自然の恩恵に感謝し山や自然を信仰していたのだと感じました。

もう一つ古代日本史の本で井沢元彦氏の「逆説の日本史 古代黎明編」を読みました。そこには邪馬台国(ヤマタイコクではなく、中国語だとヤマドゥ、又はヤマトで)邪馬台国が旧大和政権であると書かれていました。

氏族、豪族が中心になって国を治めていた。地域により様々な国があったのではないでしょうか。その一つが倭国(邪馬台国、旧大和政権)であって、日本が一つの国でないから大陸との国境が無かったんでしょう。そう思うと、ゴチャゴチャしていることが少しスッキリとすると僕は思ってます。

記紀に邪馬台国出てこないのは、時の権力者にとって都合が悪いから消されたと。蘇我氏も徹底的に悪者にされている。全て悪いわけではなく、大和政権に貢献した氏族は鎌足を英雄にするために、作られたプロパガンダであったのか。

ひとつの仮説、考察として古事記で言う国譲りは→丁未の乱??そこで、天皇家・聖徳太子、蘇我氏に敗れヤマトから追いやられる。丁未の乱により政権がとって変わった。これを国譲りとしたのではないかと。根拠としては大物主(物部氏の祖先)を奉るっている。
もう一つは古代出雲大社は天孫側よりも立派な神殿が築かれていた。あと天皇家は出雲大社には入れない。元々は、自然崇拝していた一族の物部氏の始祖が神であった。あとからきた天孫族を神に、物部氏を鬼にして根の国に追いやったのではと。
では何故、戦うこともやめてしまい、天孫に譲ってしまったのでしょうね。本当は争いがあったが、平和に見せる為に何事も無かったように見せたかったのか。

色々なことが謎に包まれている、縄文から弥生、古墳、飛鳥時代。謎が多いから、ロマンがあり面白いと思うんですけど、もう少し分かってる歴史を国家に開示して欲しいと思いませんか。色々と都合が悪いから現状こうなんでしょうけど。
皆さんは、日本の古代歴史観をどんなふうにお持ちですか。意見や考察などが有れば教えて下さい。お願い致します。

最後まで読んで下さった方、ありがとうございます!!
文章が纏まっていないところや、知識見識が浅いところは御容赦下さい。


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