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【エッセイ】あげた軽蔑、もらった拒絶

私には親友がいる。

つい先日も彼に会う予定があった。
昼に集合してご飯を食べて、その後適当にぶらぶらする。
予定があってないような約束。
仲のいいもの同士なら、わりあいこんなものではないだろうか。

彼の都合で、その日遊ぶ時間はいつもより少ない。
だから、私はいつもより早く待ち合わせ場所に着こうとした。
少し歩けば、目的の場所というところで、彼から連絡が入った。
『20-30分遅れそう』
彼は結局、一時間ほど遅れてやってきた。


彼とは、コロナ前には何度も二人で旅行へ行く仲で、旅行がなくても月に一度は遊んでいた。
コロナが落ち着いて、彼は結婚した。
親友の私は当然、結婚式に参加して友人代表のスピーチをした。
だから独身の私とは違い、彼には妻とまだ歩けないくらいの子供がいる。
世帯を持つ彼とは、昔のようになかなか旅行には行けないが、比較的近くに住んでいることもあって、2~3か月に一度は会っている。
連絡もこまめに取り合っている。
彼は結婚、私は転職を経験し、お互いの周囲の関係性は変化していったが、私たちの関係は継続していたように思える。

仲がいい理由は、大学で楽しい時間をともに過ごしたとか、ピンチな状況を二人で乗り越えたとか、いくつかあるかもしれない。
つまるところ、一緒にいて気が楽とか、心が騒がしくなることがないとか、そんな理由に落ち着くんではないかと思う。

彼が1時間ほど遅れたのは、その前の奥さんの買い物の用事が長引いたかららしい。
彼は会って、2、3言話してから謝った。久々に遊べることに期待していたのか、謝りながらも楽しそうだ。
家族が理由なら、しょうがない。そういうこともあるかと、すぐにお昼ごはんの店に入った。
お互いに、思ったことをすぐに口出す方ではないし、次々話題が飛び出す方でもない。ぽつぽつと、寄せては引く波のように、話したいことがあれば話す、そんな関係だ。
けれど私は気がついていた。
自分の口数がいつも以上に少なくなっていることに。

食事を終えて、街をぶらつく。
「あの店はどうなってたっけ?」
「そういえば欲しい物あった、あっち行こう」
「閉店セールやってるんじゃん、ここも見てみよ」
思いついた店、目に入った店に入る。
私にとって、本当に気兼ね無く自由に歩き回れるのは、友人でも彼くらいだ。
こういうとき、早歩きの私は、ゆっくりとした足取りになる。

あちこち廻ったものの、いつも通り何も買わなかった。
けれど、いくらかの満足感だけは持って、目に入ったカフェに入り休憩した。
カフェで頼んだのはコーヒーだけ。
時間はあまりなかったが、またぽつりぽつりと話しだす。
最近読んだ本の話や仕事の話、昔の話。
私がつい先日、長編小説を初めて完成させたことを話した。
完成度はとんでもなく低い代物だが、成し遂げたことを誰かに伝えたかった。
それを伝えられる友人は彼だけだったし、実際、茶化すことなく話を聞いてくれた。
彼の愚痴もコーヒーを飲みながら聞く。
ストロングコーヒーの色は濃く、苦みが尾を引く。
こぼすところのない愚痴は、いつか黒い塊になってしまうのはよくわかる。
気づいたときに捨ててしまおう。それか別の物で薄めてしまえばいい。
店内には地元大学生が多く、明るい喧騒が響いていた。

なんでもない時間を過ごすと実感する。
やはり、彼は親友だ。
気兼ねなく、どんな話もできる友人はとても貴重だ。
こんな友人が一人いてくれるだけでも、私は幸せものだと思う。
最近になって気づいたが、私の好きな漫画や映画にはバディものが多い。
心の根っこで、無二の親友を求め続けていたのかもしれない。

それに、私たちは似ていた。
大体の感覚は似通っている。
普段陽気なわけではないが、楽しむときは感情を惜しむことなく出せる。
気を遣うところは遣い、相手の希望を訊く。
丁度いい塩梅で、互いの希望をかなえていくような関係で、だからこそ、あちこち旅行に行けたのだろうと思う。
相手の行きたいところがあればそこに行くし、自分が行きたいところがあれば反対されることはない。
そのバランスが心地よかったのかもしれない。
アイコンタクトで全てを決める相棒のようで。

帰る手段は、私が電車で彼が車。
彼の帰り道の途中にある私の最寄駅まで、車に乗せてほしいと頼んだ。
さほどの面倒もかけないだろうと、軽い気持ちで。
彼が答える。
「ごめん、無理」
予想外の返答に、胸が一瞬詰まった。
「奥さん、待たせてるからさ」

頭の中ではわかっていた。
いや、最初に彼が遅れてきたときにも感じていたはずだ。
彼は好きな人と結婚して、かわいい子供も生まれた。
1番大事なのは家族で、私は楽観的に見て2番目くらいかなと。
そう思っていたはずなのに、そう考えていたはずなのに、断られた瞬間、驚いてしまった。
わかっていたはずだった。
だが、現実の出来事として、彼の一番大事な人たちと同列の存在ではない、ということを思い知らされると、繋がっていたものがほどけていく感覚に陥った。

私は心のどこかでは一番であることを望んでいたのだ。
この気持ちを認めた時、なんとエゴイスティックな人間なのかと恥じた。
かまってちゃんと同じではないか。何なら子供と変わらない。
でも、この気持ちをないものとして扱うことはできなかった。
きっとこの感情は蓄積していくし、無視すれば得体の知れない黒い大きな塊となって、親友との関係に悪い影響を及ぼすと思った。

私はそんな気持ちに陥っていたが、彼はただ純粋に友人と楽しい時間を過ごせたと思っているはずだ。
少ししか遊ぶ時間がとれなかったことを悔やみ、また遊んでほしいと言っていた。
問題は私にあるのだ。

映画や漫画では、どんなに時が流れても揺るがない関係性が描かれていることが多いが、現実では人の関係性は時間と共に変わりゆく。
そして関係性というものは、個人がその関係性をどう捉えるかの主観に依っている。
人との関係をどう捉えるかで、その人の人間性がわかるのかもしれない。

私は通知も何もない携帯を見て、わかったと返事をした。
駐車場へ向かう彼を見送り、その場を去る。
最寄り駅までは多少かかるが、歩いて行ける距離だ。
暦の上では春だが、街路樹にはまだしっかりとした緑はない。
けれど、辺りに並ぶビルの間を縫うように吹く風が、春の匂いを運んでくる。
毎年嗅ぐ同じ匂い。
今はただ、変わらないものが心地よく、その歩を緩めた。

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