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現代アート「My fair prisoners!?3」の小柴昌俊さんの調書とエッセイ※全文掲載

先ほどまで生きていらした方の登場です。ノーベル物理学賞を2002年に受賞されています。そして、僕の「My Fair Prisoners!?」の撮影の予約を、だいぶ前にしてくれていたんです。実際に会って撮影出来なくて本当に残念ですが、ここで調書(データ)とエッセイだけご紹介します。亡くなりたてほやほやです。(※2020年11月13日現在) 名前は、小柴昌俊さんです。

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             My Fair Prisoners!?調書

囚人番号:20201113201417

名前:カミオカンデ

懲役:94年

服役した刑務所:愛知県

音楽:ディキシージャズ

映画:チャップリン全般 特に「独裁者」

本:「人間の証明/森村誠一」、三島由紀夫全般

罪:小学校入学前、しょっちゅう人の家の柿を盗って食べた

喜:ノーベル物理学賞を獲ったこと

怒:戦争、レイプ、重犯罪、銃犯罪。

哀:数々の実験の失敗。

楽:カミオカンデで実験をしている時。

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「カミオカンデ」さん

 学生時代、本ばかり読んでいた「カミオカンデ」。坂口安吾の大ファン。「堕落論」を読んで、人間、一度は落ちる所まで落ちなければならないと強く思っていた学生時代。仕事は大学教授。教える事よりも、実験がとにかく楽しかった。相対性理論の信者だった。時間の魔術に取りつかれていた教授時代。いつも独りで実験をしていた。カミオカンデの構想を練り始めたのは、45歳くらい。これで、ノーベル物理学賞を獲れると思った。人付き合いが苦手だった。後輩を育てるのは二の次、三の次。今は後悔している。56歳くらいで、ノーベル物理学賞が見えて来た。ノーベル賞の連絡は、実は警察からが初めだった。その夜は、一睡も出来なかった。嬉し過ぎて。カミオカンデの構想は、25年かかった。38億円かかった。不安で不安で仕方なかった。カミオカンデでは、宇宙の起源が解ると思っていた。実際は、時間の成り立ちが見えて来た。それからは、時間に取りつかれた。引退はしていない。一生、科学者であり続ける事が出来た事が誇り。悔いは、山下眞史君に直接「My Fair Prisoners!?」を頼んでいて、それが叶わなかった事。今こうしてインタビューされて、溜飲が下がった思いで一杯。「カミオカンデ」は、今は新たな時間の魔術の虜になっている。  (了) 

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※この方も刑期を終えました。


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