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現代アート「My fair prisoners!?3」の木下惠介さんの調書とエッセイ※全文掲載

この方は、僕と故郷が同じで、映画監督です。特に「二十四の瞳」、「楢山節考」で有名です。映画のDVDは全て持っています。同郷の木下惠介さんです。

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         My Fair Prisoners!?調書

囚人番号:20201120094608

名前:恋人は映画館

懲役:86年

服役した刑務所:静岡県浜松市

音楽:ディキシージャズ

映画:「七人の侍」、「夫婦善哉」

本:「人間の証明/森村誠一」

罪:高校時代、学校をさぼって映画館にタダで入って観た事

喜:映画の封切り、子供の成長

怒:戦争

哀:もっと映画を撮りたかった

楽:撮影時間

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           「恋人は映画館」さん

 「恋人は映画館」は、幼少期、小柄で、喧嘩も弱く、使いっぱなしを近所の悪餓鬼にやらされたいた。情けないとは思ったが、こればかりは仕方なかった。

 小学校では、国語を特に頑張った。将来は作家になりたかった。

 中学校では、映画館に無銭で行き、目標を変え、将来は映画監督になる事を決めた。

 高校では、自分達で芝居をやり、将来の糧にした。うまい具合に連れが協力してくれたので、本当に感謝に絶えない。

 大学では、演技論、撮影方法を学んだ。目標の映画監督に近付くには…そんな事ばかり考えていた。

 松竹蒲田撮影所に入社。しばらくアシスタントの日々は、まるで夢のようだった。松竹大船撮影所に移り、島津保次郎さんのアシスタントになり、本格的に撮影技術を学んだ。スポンジが水を吸うかのような日々だった。

 昭和18年に「花咲く港」で監督デビュー。黒澤明と共に、山中貞雄賞を受賞。夢のようだった。

 映画「二十四の瞳」で、ブルーリボン賞を受賞。これが代表作となる。

 昭和33年に、映画「楢山節考」がヴェネツィア映画祭に出品。多くの評価を得たが、金獅子賞は頂けなかった。

 今思い返しても、幸せな人生だったと思う。戦争を抜かせば。ただ、戦争で負けて良かったと、心の底から思う。

 今は、たくさんの映画仲間と、映画談義と、自作を練っている。「「病名命名屋・命名屋」君が映画を撮る時は、ぜひ力になりたいから、よろしく」と言われ、心の帯を締め直した。(了)

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※この方も刑期を終えました。

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