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現代アート「My fair prisoners!?3」ジョン・レノンさんの調書とエッセイ※全文掲載

この方は、The Beatlesのメンバーで、オノ・ヨーコさんの旦那さんです。僕は、オノ・ヨーコさんから、「Song Writer」さんが住んでいたニューヨークの家を買い取りました。名前は、ジョン・レノンさんです。

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          My Fair Prisoners!?調書

囚人番号:20170914200555

名前:Song Writer

服役した年:1940年10月9日

服役した刑務所:イングランド マージーサイドリヴァプール

音楽:ラテンミュージック

映画:オードリー・ヘプバーンの出演しているもの 「ティファニーで朝食を」

本:Bible 

罪:デビュー前の色々なこと

喜:いい曲を書き終えたとき

怒:戦争

哀:あるメディアの態度

楽:オズワルドと話しているとき

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「Song Writer」さん

  幼少期は複雑な家庭環境だった。しょっちゅう同級生と喧嘩ばかり。ギターとの出逢いが、「Song Writer」の全てを変えた。一番初めに買ってもらったギターは、50ドルくらいだった。それからは、ミュージシャンに絶対になると決めていた。ポールとの出逢いも大きい。The Beatlesの名前は、ポールのアイデア。そして、年齢を偽り、ドイツに行き、違法に働き、一度強制帰国をさせられた。そんな事もあった。映画「BACK BEAT」はそれなりに歴史と合っているようだ。

 Wifeとの出逢いも大きかった。小さな「Yes」をオノ・ヨーコの作品で見て、結婚を決めた。それからは幸せな日々だった。ただ、どんどん有名になる自分が怖かった。そして、本当の親友に撃ってもらった。これが真実。親友の名前は知られていない。

 The Beatlesは最高だった。全てが上手く運んだ。そして、あまりにも幸せ過ぎて、最後は不安ばかりになった。有名税が全てを狂わせた。不安を消す為に曲を書いたが、曲が売れる度に、経済的余裕の引き換えに、心の自由度が減って行った。自分ではもう、どうしていいか分からなかった。

 「俺はそんなに大した人間ではない。曲が売れて経済的余裕が出来、自分の声がよく通るようになり、自分が分からなくなったんだ」そう「Song Writer」は言う。「でも、生まれ変わっても同じ「Song Writer」を。やるさ」という。今は、「学園Heaven」で18曲書いた。次は自分を大事にする。そういって、ギターを抱えて、インタビューを終えた。 (了)                               

※この方も刑期を終えました。 「何故外国籍の人が日本語を話しているのか?」と疑問があるでしょう。理由は、霊能者の僕と念話で話す為に、日本語を死後、必死に憶えたそうです。今、亡くなった方々や大天使、天使、存在達がいる「学園Heaven」では、日本語が流行っているそうです。

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