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自己紹介その2(ぼくの家庭の邂逅録)

 父の仕事が再稼働して2年くらいでしょうか。父は騙されてしまいました。ただでさえ、人が良く、人を信じすぎてしまう性格。(ぼくもそうです。でも人を見抜く力を失敗から学びましたが)、

借金の保証人になっていて、1億と言う大金を払うことになってしまったのです。父は必死で働きましたが、足らず、多分圧力が強くなっていったと思います。

父がすべての問題が片付いたときに泣きながら、話してくれたのですが、車に排ガスを引き込んで、川辺で自殺しようとしたそうです。でも神様はいるもので失敗に終わりました。それから、清算しようと家族で別の土地へ逃げようと思い、段階的にことを進めました。

ある時に地震があった時絶対に必要なものを鞄につめなさいと母に言われ、?と思いながら、おもちゃと本を詰めました。

ある日の夕方、「今から田舎に帰るから、みんな、鞄持って」と父。
思いつめた顔をしていました。よくわからんけど、車に乗りました。

高速に乗った時、ぼくはいつもと逆方向へ向かっていると父に言いました。
父は宮城県(田舎)じゃなく、名古屋に行くといいました。「みんな、ごめんなあ、お父さん、もう一度やり直す(1億払う)辛抱してなあ」

(この1億円を父と母は仕事掛け持ちして、30年くらいで払いました。根性が並みじゃないし、その結果、銀行の信用が回復して、事業に有利になりました。念のため)

 名古屋での新生活が始まりました。新しい家には父があらかじめ買った、家具が入っていました。電気、ガス、水道はもちろん使えました。

 ぼくと弟はK小学校に編入されました。正直、学校は行きたくなかったです。言葉の違いとか考えの違いで、即、いじめが始まりました。耐えるしかありませんでした。

 父は家で何もしたくなくて、小説を読んだり、寝ていました。しばらくは貯金で生活をしていました。父は思い立つとパチンコに行きました。母は、怒っていました。

そうこうして、父は仕事を探しに行き、自動車修理工場への就職が決まりました。朝6時に家を出て夜中の0時に変える生活。後でわかったのですが、
夕方6時まで会社。その後、他の自動車修理工のところでアルバイトをしていたのです。ぼくらを想ってのことで、幸い、鉱山で鍛えた父は、病気にはなりませんでした。(注:会社へは行きましたが、下請けをしていました)

母も、近所のお菓子工場、夜はお弁当屋さん(コンビニに卸す弁当屋)と掛け持ちで、あるとき、起きれなくなりました。その時にぼくは掛け持ちはやめろと言い、お菓子工場を辞めさせました。

 そんな大変な思いをして借金を完済するぞとの精神に大きく影響されました。ぼく自身も無謀と思えることを乗り越える模範を見ていたので、高校でいじめられても半年耐えて、最後、ボスとタイマン。口喧嘩でしたが勝ちました。ぼくが事実上のボスになりました。隣のクラスの女子に人気が出ました^^

 こうやって書くと、小説みたいな気がしますが、全部事実です。親の影響と自分自身の体験。精神的にどんなことも負けない強さが備わった気がします。もちろん、上には上がいるでしょう。ぼくは負けを認めることができる人です。勝ち戦しかしない。

(つづく)

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