写真、世界を切り取る道具

 写真を添えて「撮影って、世界からわたしの視線で像を切り抜く道具だよねぇー」ってなことをグダグダ書くぞ!と思ったのだけれど、耳目集めそうな優秀な写真が用意できねえ(苦笑)。企画倒れかよ。まあ、いい(「バッカーノ」あの人の物真似)。写真抜きで書いておいて、あとでいいのが見つかったら挟んでお茶を濁す、という方針にしよう。

 写真はいいよねー。リリンの生み出した文化の極みだよ、と初代にして最古のカオルくんの物真似をしたところで、いまどきの方には通用しないだろう。滑ることすらままならぬ、世知辛い世の中よのう。
 どっちかっつーとわたしは「耳の人」です。耳の人ったって倉石タンポポちゃんではない。視覚よりも聴覚な人って意味です。しかもわたしの「耳道楽」は楽器演奏よりも歌唱方面よりも、ただひたすら「自然音」です。川のせせらぎ、潮騒、巨木を吹き抜ける風が葉を枝を痛めつけて鳴らす音が好き。……そうはいっても夏場の蝉には辟易ですが。でもこの「音像収録」はことのほか難しいのです。なので、代替としての画像収録、という面もあるのです。絵を見て音を妄想するのです。あれ?空想か。「思い出す」が近いか。

 YouTubeでもブログでも、写真の基本構図というものを気楽に学べる現代です。まあ、自分で「数打つ(たくさん、撮影する)」ことを繰り返していたらおのずから身に付くスキルだろうになあ、とわたしなんぞは思うんですが、いい写真の何がよく、悪い写真の何が悪いのか、けっこう気づかない、気づけないという固有スキル?の方もそれなりの人数はあるようです。それは、別に優劣でもなくマウントとる/とられるの話でもない。「固有」の性格に近い部分でのオリジナリティある機能というだけです。気にすんな!いろんな奴ぁーいるんだよ!
 写真といえば以前は現像の手間というものがありました。個人で暗室持ったり、手のところだけ覆いをした卓上「暗室」なんてグッズもあったりしたものです。この「古の現像技術」は現代でもアップル社のGPU内蔵CPUの「M1」製造でも大活躍中です。シリコンウェハースに部品と回路結線とを「焼き付ける」原始的な手法はまさに銀版撮影術の正当な後継者なのです(エコー:なのです、なのです、なのです)。

 「現像は遠く(日常生活からは遠い場所という程度の意味)なりにけり」 ですが、撮影のほうはむしろ身近になりました。
 国民全員が「スパイセットを持っている」なんて言われちゃうくらい、カメラ撮影機能と音声収録機能とインターネット・ブラウジング機能とSNS機能と……えとせとら……多機能な端末、スマートフォンの登場は、体験することが最大目的だった旅行や運動会などのイベントの楽しみ方を押し広げる一方で、撮影の下僕へと人を追いやった面もありました。痛し痒し。物事には「光もあれば影もある」まこと栄光の影にはひとに知られぬ忍者の……このクダリ、あんまりよく覚えてないんですよね。つかいたい!って思った時につかえない、ぼんくらなアタクシなのでございます。とほほ。
 写真で世界を切り抜く、子供や孫の活躍(あるいは拙い感じ)を記録に残す、出来上がったモノは客観物であろうともそれはつまるところ撮影者の自我の延長としての表現にほかなりません。そうなってくるともはや、一挙手一投足そのものが「クリエイティブ」と称するより他ない。クライアントの言い分を聞き入れクライアントの満足を追求することもまた「わたしの投影」、「わたしの拙い複製産出」である、なんていったらお金をもらって仕事をなさっているプロフェッシャルに対するなんか言いがかりめいた無理難癖つけと受け取られてしまうでしょうか。いや、ヒネクレモノのわたしだって、優れたものは優れていると思うし素晴らしいものは素晴らしいって思いますよ……たぶん「わたしの尺度」「わたしのおめがねにかなったもの」だけに対してとなるでしょうけれど。上から目線ーってことでなく、そういうことがわたしの能力の限界だと表明しているだけです。

 大勢のひとの称賛が、あろうとなかろうと、どのみち人は誰しも死ぬまで「自分を生きなければならない」のです。……うーん、希望に満ちているようでもあり、なんだか「ちーん」とりんを鳴らすような寂しい心持ちになるような展開ですが、しゃーなし!(ある魔装少女の言葉)ですな。

 ポップコーンがはじけたみたい!な紫陽花のまだ白っぽい花(ガクだけど)の写真でも載せましょうかね。

紫陽花近景

紫陽花全景

 金平糖みたいで美味しそう!ですが、紫陽花にはなにやら毒素があるそうな。くわばらくわばら。

 ついでにお昼ご飯。

豚肉の胡麻よごし_近景

 豚のモモのスライス、とかなんとか。茹でて冷まして青紫蘇を手で引きちぎって白胡麻を擦って掛けて塩も一枚一枚「それなりに」振って、仕上げに冷蔵生姜をおろし金で摺り下ろしてかけてみた。そういうテスト(苦笑)。お味は、しらん!そんなことはどうでもいい!(「うぽって」のフジコ先生の物真似)……どうせ喰うのは我であるが故に(なんか物真似しようと思ったら混ざった! 苦笑)

 こたびの作文もまた、こころ躍ったわ (「踊った」と「躍った」だと、だいぶ、い、イメージが……)。 おしまい。


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