武漢(ウーハン)肺炎、封じ込め失敗

 2019年11月に封じ込めに失敗した事実をいまさら責めようとは考えない。ただ残念に思う。アフリカ豚熱(旧名称、アフリカ豚コレラ)の侵入を防げず、侵入後も封じ込め出来ず(技術力も畜産病理に対する高度な知見も、そして行政として施策を断行する政治力もあるにも関わらず)、国外への蔓延をも防げなかった様子をみて、2019年12月のヨーロッパ系報道に接して強い懸念を覚えたことをいまさらながらに思い出す。
 チャイナには先例があった。それは「封じ込めに成功した」例だ。
 SARSがそれだ。
 人に激症を引き起こすSARSを、当時のチャイナ医療および行政対応はものの見事に封じ込めた。SARSの特性であった、感染後の速やかな発症と症状の激しさが感染蔓延を阻害した面があったにしても、当時のWHOと連携して疾病の拡大を防いでみせたのだ。
 あの頃の「輝かしいチャイナ」は、いまでは見る影もない。
 疾病に接して、その疾病にまつわる一切合切を公開すれば国家転覆の危険を感じているかのように秘密主義が横行しているように感じる。隠せが隠すほど、公開を先送りすればするほど、政治に対する傷は深まり、危機を避けようとする一切の努力はむしろ危機を劇的に拡大強化してしまう。そのことに気づけない「中国四千年の歴史」とは一体何なのであろうか(もちろん「中国四千年の歴史」というのは慣用句としての言い回しであって、「中国」の領域は曖昧、「四千年」は嘘っぱち、「歴史」は常に後から立った為政者の都合に沿って書き換えられる、という三拍子揃った無意味な慣用句ではあるのだけれど、そこには人類の愚かさが余すところなく詰まっているのだ、とも言える)。

 真っ当に歴史を「見る目」がある方ならば、台湾島の歴史を辿るのも疾病対策の実例としては実りがあるだろう。台湾島は日本が統治に乗り出す以前は「病の島」であった。詳細は興味のある方ご自身で探して(額に汗して)学んでください。
 それと日本というのも「病気の土地」であった。古代では疱瘡が広く蔓延ったし、近年では「ころり」と称されたコレラの都市部での感染があった。本当にひとが「ころり」と死にまくったのだ、と文献にはある。治療法を試す、蔓延防止方法を試す、そういった(まさに)試行錯誤の実例が歴史の中に綴じてある。

 (ある意味では)ぽっと出の技術である「遺伝子の一部を観察可能なほど増殖する」CRT検査技術や、「抗原タンパク質の破片を体内で生産して抗体獲得を目指すRNAワクチン」製造技術が、そこまで急ぐ必要があるのか、もっと「落ち着いて」エビデンスを積み重ねるべきではないか、拙速すぎやしないか、という常識的な懸念を押し流して用いられている様子には、二次被害三次被害の可能性すら嗅ぎ取れるように感じる。

 一番懸念しているのは「全体主義統治」への道具にアレもコレもが使われやしないか、ということだ。独裁の愚かしさを人類はたかだか百年以内の歴史の中で学んだのではなかったか? 現在のチャイナにいきなり非独裁国家もどきに移行せよと無理強いする気はあまりない。革命が日常な「中原(なかはら、ちゅうげん)」であればなおのこと安易な「革命」でものごとを決める悪癖にはそろそろ見切りをつけて「ご卒業」なさるがよろしかろうと思う。外国投資を呼び込み、海外とのご商売で国家(のようなもの)の運用をなさりたいとお考えなら、最低限の「情報公開」と最低限の「公平さの保証」とは、やっておいて損のないことだと思います。嘘はいけない。ダンマリもいけない。最低限の「社交」のために、最低限の「お約束」は、どうか守っていただきたい。と思う次第です。あーこのことは、現在の自由民主党と公明党連立の菅内閣についても(吊し上げるように、断固として、突きつけ強要するかのように)言えることです。菅(呼び捨て)よ、日本国民に対する最低限の「義務」くらい、真面目に果たせよ(怒り)。

 おしまい。



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