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近代哲学の源流、孤高な男、ヘラクレイトスの思想。


ヘラクレイトスは紀元前5世紀頃のエフェソスの自然哲学者です。
彼は王族の家系の出身でした。
当時の民主政治の影響で、友人のヘルモドロスが追放されると、彼はそれに怒りました。
国法の制定を任されるも、それを拒否し、
そのあとは政治に携わる事はありませんでした。
ヘラクレイトスからすれば、「民主政治は最悪な政治」であり、「貴族政治」を推奨していました。
彼がなぜ「貴族政治」を推奨したかは、僕自身、ヘラクレイトスの書物を確認したわけではないので断定的な事は言えませんが、彼の断片的な思想や散文で、垣間見る事ができます。

彼の生涯や細かい概要については、ブログを更新しますので、ぜひそちらをチェックしてください!!

ヘラクレイトスが異彩を放っているのは、「現実主義」だから?

ヘラクレイトスがエフェソスの政治から友人が追放されると、それに失望し、隠遁生活をするようになりました。
それからという物、人とあまり関わりを持つ事も無く、孤独に自然哲学の研究に勤しむようになりました。
彼が「謎かけの人」と呼ばれたり、「泣く哲学者」と呼ばれるのは、そこにあります。

ヘーゲルやニーチェ、ハイデガーに近代哲学の大物に評価される彼の哲学は、他の自然哲学と比べてより現実的であり、近代哲学の源流となっているからなのかもしれませんね。
より現実的だからこそ、孤独と悲哀に満ちた彼の哲学者像が浮かび上がってきます。

万物流転と火と変化について

彼は万物の根源は、「火」にあると考えました。

土→火→空気→水→土→火...etc
万物流転

これらがひたすら繰り返され、自然が成り立ち、幾度となく変化していくのが「万物流転」です。
変化しない事など一つも無く、万物は変化します。それ故に彼は「同じ川には二度と入れない」と説きました。
他のギリシャ哲学と比べるとより一切は虚しいという、悲哀に満ちていて、これは一種の現実主義では無いかと思います。
ですが、変化しない唯一のものとして、理(ロゴス)があります。
理(ロゴス)とは、簡単にいうと、理由とか法則とか、まあそんなところです。
この世界を規定する、普遍的な法則、「神」といわれるものも、この理(ロゴス)です。

そして、万物の根源である「火」は、このロゴスそのものであると、ヘラクレイトスは考えました。
火は、他の「土、空気、水」と比べると、他を焼き、自身を成り立たせます。
「保存と変化」を同時に行うのはこの火のみです。
一定の燃料、一定の明るさを保ち、
燃料がある分だけ燃え、それが無くなると消えますが、それはそこにあったし、今もそこにあり、これからもあり続けます。
その一定分だけ存在する、対立的で調和的な物質が「火」です。
この「保存と変化」を繰り返す事で土、空気、水が生まれる。
勿論、万物の根源は「火」ではなかったですが、そんな事でヘラクレイトスを評価する事なかれです。
ヘラクレイトスが後の哲学者に評価されているのは、「対立と調和」についての哲学です。

ロゴス(理)について

ロゴスとは、普遍のものであり、この世界の調和をもたらすもの、法則とも、神とも言われるのがロゴスです。


争い(火)は万物の父の意味

火はそこにあるものを、あるだけ燃やし尽くしますが、それによって空気が生まれ、水が生まれます。
燃やし尽くして、新しい物質を生み出す、それがこの世界の理です。

「平和」というのは、「平和」単体それだけで存在はあり得ません。
実態の争いがあり、調和、理(ロゴス)によって生まれたのが平和です。

「美しい絵画」はどうでしょうか?単体それだけで「美しい絵画」とはならないでしょう。
「美しい絵画」意外のそうではない物があり、それと比べ、争う事で、その「美しい絵画」は「美しい絵画」とされ、評価されるんです。 
創造や価値は、争いの上に構築され、成り立ちます。

対立の無いところに調和は生まれない。

これは、弓にも例えられます、弓は反対方向に引っ張りあっているからこそ、矢は遠くに飛ぶのです。
互いに対立する力関係があると、調和がうまれます。
ビジネスでもそう言えるかもしれませんね、
対立する競合他社がいるからこそ、調和が生まれ、成長が生まれます。
ヘラクレイトス哲学のポイントはこの「対立と調和」にあります。
この世界の理、歴史も含めて、争いを根源とする「対立と調和」で成り立ちます。

ヘーゲル弁証法の元ネタは万物流転!?

近代哲学の王者ともいえるヘーゲルも、ヘラクレイトスを高く評価しています。

弁証法を簡単に説明すると、A(正)とB(反)と対立した矛盾をC(正)で解決すると言ったものです。
電気自動車が分かりやすいです。
A(正)=車に乗りたいけど、排気ガスが出て、地球環境に良くない!!=B(反)とする。
これを解決するアイディアとして、電気自動車というものがあります。=C(正)となります。
これがヘーゲルの簡単な弁証法であり、ヘラクレイトスの哲学を参考にしたと言われています。

ヘラクレイトスの貴族的思想と、自然哲学。

彼はエフェソスの「民主政治」を嫌いました。
しかし、彼がそれを嫌い、「貴族政治」を推奨したのも、彼自身の哲学と密接に繋がっているのではないか?と思うのです。
彼がただ単に彼が身分的階級を望み、
「貴族政治」を推奨したとは考えずらいです。
「争いは万物の父である」が彼の哲学でした。
物事には対立が必要であり、それがあって初めて「調和」が保たれます。
これからの持論は、私の単なる憶測であり、ヘラクレイトスの哲学をテーマに考えた独断です。
「民主政治」の問題として、「支配の緩和」があります。
「支配の緩和」が発生すると、それだけ対立するものが無くなり、民衆が好き勝手主張する事ができます。
変な話、自分の不都合があれば、それに対して声を荒げて、無理を通す事が可能なんです。
これはいわゆる、対立が存在しない状態です。
対立がないと言う事は「調和」は生まれません。
そして民主政治のもう一つの問題は「責任の所在」です。
自分が損を被るとなると、大騒ぎをし、権利を主張するが、その責任は誰も取らない。それが民主政治の実態です。
そんな無責任な民衆が国を引率するのは、到底無理だろうとヘラクレイトスは考えたのかもしれません。
彼ははその民衆の暴走を危惧していたのかもしれませんね。
だからといって、貴族政治を賛成する事もできないというのが一般人の見解でしょう。

しかし、好き勝手主張し、責任逃れが可能な政治形態は外側からの圧力にあまりにも弱く、脆いのです、、
同時の世界情勢を考えれば、それが脆いのは一目瞭然です。
では、貴族政治はどうなのか?無責任な貴族がいたら、それは同じ事じゃないのか?
という意見が聞こえてきそうです。
勿論ゼロでは無いですし。なかには愚かな王族や貴族がいるのも事実です。
しかし、王族や貴族は自分がその家系に生まれると、一定の責任や、名誉が生まれます。
国の指針を握るリーダーには責任が伴いますし、
貴族にはその責任という名の「対立」が、大いに関わってきます。
その責任はその貴族自身に調和をもたらし、国の指針に一層注力するように、行動を促します。
その責任を怠ってしまえば、自分の身にも危険が及び、自分だけで無く、家族も危うくなります。
その責任に置かれた状況の「貴族」
無責任で好き勝手な「民衆」どちらが国にとって良い判断ができるかは一目瞭然です。
ヘラクレイトスはその対立による調和(理=ロゴス)による思想から、貴族政治を推奨したのかもしれません。

飽くまで、ヘラクレイトスの主張に則って、考察をしているので、私の政治主張とは全く関係ありません。

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