見出し画像

『キョコロヒー』は伊達じゃない!

『キョコロヒー』が絶好調だ。テレビ朝日深夜枠「バラバラ大作戦」で放送されている10以上の番組のあいだでおこなわれた人気投票では見事1位を獲得し、23時台からの特番枠をゲットした。

その人気もあって、今月からは深夜枠ではなく、夜12時から放送されることとなっている。こうした人気もあって、なぜこの番組がおもしろいのかという考察が多くなされるようになっている。

それにも関わらず、率直に言って、少なくとも自分のツボにはまった見解はいまだ出て来ていない。『キョコロヒー』のすごさはそんなもんじゃないんだよ、と言いたい気持ちでいっぱいである。以下ではその一部を吐き出してみたい。

『キョコロヒー』は日向坂46の齊藤京子と松竹所属のピン芸人ヒコロヒーと二人による「トーン低めダンスバラエティ」である。「キョウコ」と「ヒコロヒー」で「キョコロヒー」というわけである。この命名のシンプルさはエンディング曲でヒコロヒーにいじられているが、しかし、この「キョコロヒー」という響きからしてすでになんとなく惹きつけられるものがある。

番組開始当初の知名度を考えると、多くの視聴者は齊藤京子あるいは日向坂46のファンとして番組を見始めたことが予想されるが、私は逆で、ヒコロヒーが気になっていて番組を見始めた口である。

なぜヒコロヒーが気になっていたか。それは私がお笑い芸人ダイアンのラジオをよく聞いていたからである。そのラジオに素人時代のヒコロヒーがリスナーとして電話をかけてきたことがあった。もちろん放送当時はそれがヒコロヒーだと知るはずもなかったが、妙に印象に残るリスナーであり、後にあの人がヒコロヒーとわかったときから彼女に関心を持つようになった(ちなみにヒコロヒーがダイアンのラジオに出たエピソードは以下の「さまぁ~ずチャンネル」で語られている)。

ヒコロヒーがダイアンのラジオが大好きだったということは、実は『キョコロヒー』の魅力と大いにつながっているように思われる。

その前に、『キョコロヒー』を見たことのない方のために一応説明しておくと、同番組では齊藤京子の風変わりなところをヒコロヒーがつっこんでいくという形で笑いが生まれることが多い。風変わりと言っても、齋藤京子はわざと「ボケ」たり、奇天烈な行動をしたりするわけではない。ちょっと言い方がずれていたり、「普通」の人だったら思っていても口にしないようなことを言ったりするのである。

アイドルである齊藤京子のルックスもあいまって、その「ズレ」た言動は相当おもしろいのだが、当然そのおもしろさを引き立たせているのがヒコロヒーの独特な応答の仕方である。ただその「応答」とは、必ずしもすぐれたツッコミ、適切な言語化だけを意味しているのではない。

もちろんヒコロヒーのツッコミは的を射ていることが多いし、皆が感じた違和感をうまく言葉にしてくれていると思う。ただ、それだけであれば、それなりに有能な芸人なら皆できることで、そのことだけで『キョコロヒー』が人気になったようには思えない(もちろんそれは一要素ではあるけれど)。

ここで先ほどのダイアンが関わってくるのだが、ヒコロヒーはダイアンのユースケのような間というか空気感を持っており、齊藤京子の不思議な発言に対して、まず顔で対応する。こればかりは番組を見ていただかないとわからないのだが、即座に言葉で反応するよりは、まず表情(狐につままれたような顔だったり、「は?」という顔だったり)で視聴者の気持ちを代弁することが多い。この間が心地よく、いわゆる「普通」のツッコミとは異なる要素で、『キョコロヒー』のケミストリーを作り上げている。(この「間」については、『〜凪咲と芸人〜マッチング』で渋谷凪咲が関西はダイアン二人の間を待ってくれるけど、東京の番組は待ってくれないと言っている「間」のことである)。


また、『キョコロヒー』では、齋藤京子の独特の言語感覚ばかりが注目されるが、ヒコロヒーの言語感覚もこの番組の良さに寄与している。本を読んだり映画を見たりすることが多いと言うヒコロヒーは、難しい言葉を良く知っており、それをしばしば齊藤京子にぶつける。これは意図的にやっているのかはわからないが、それに対して齊藤京子は意味が解らないことが多く、そこで「普通」の人であれば、「え、○○ってなんですか?」と聞くのだろうが、齋藤京子は愛想笑いでごまかして、話を続けようとする。これも言葉ではうまく伝わらないが、視聴者にはおなじみの面白シーンである。

このように、ヒコロヒーが『キョコロヒー』で果たしている役割は大きい。実際Youtubeのコメント欄などを見るとヒコロヒーを絶賛するコメントが目立ち、正当な評価がされていると言えるだろう。

ただ最後に言っておきたいが、だからといって齊藤京子の重要性を軽視すべきではないと思う。もう少し齊藤京子も褒められてしかるべきではないだろうか。具体的なポイントについては別記事で触れたいが、ここでは、たとえば芸人のオードリーについて考えてほしい。

オードリーの若林が非常に優秀なことは疑うべくもないが、果たして春日という異才を抜きにして世に出ることはできただろうか。春日という圧倒的に華のある機体があってこそ若林という天才操縦士はその実力を最大限示すことができるのである。

齊藤京子も同様である。何も知らない人からすると、「アイドル」と言う「量産型」とみなされるかもしれないが、その個性は唯一無二である。実は心配性だったり、悲しいときほど笑顔を作ってしまったりするのだが、しかし春日ばりに自信満々のその態度は、なんともいえず愉快である。その齊藤京子と相性抜群のヒコロヒー。やはり『キョコロヒー』は伊達じゃない!のである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?