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友達を消したい

誤解のないように言い直すとすれば
友達という「概念」を消したい。
というのが正しい表現かもしれない。

私は友達を消すためにアプリ開発をしている。
今日はそんな「私がアプリ開発をしている理由」についてnoteを書こうと思う。


いちゃりばちょーでー

私は小中高と沖縄で育ったうちなーんちゅだ。
(うちなーんちゅ:沖縄の方言で「沖縄の人」という意味)
そんな私を育ててくれた沖縄にはこんな言葉がある

いちゃりばちょーでー

出会った人はみんな友達さ〜みんな大切な人さ〜ね

そんな意味の言葉だ。

そんな島で育ったからかもしれない。
東京に越してきてすぐに違和感を感じてしまった。

それは電車の中で
それは街中で
それは合同説明会会場で

身の回りの多くで沖縄で過ごした時とは違う何かを感じた。
それは「心の距離」だ。
都会の中生きる人達はなんだか見えないバリアを張ってるように見えた。

できるだけ他人と関わらないように……。私のパーソナルエリアに入らないで……。こっちを見ないで……。

そしていつしか自分自身も見えないバリアを張るようになっていた。
この心のバリアを張る私達を遠くから眺めた私はなんだか寂しくなった。

私達の中で一体何人が「help」を求める人を助けられるのだろうか。
隣で倒れた人に駆けよれる人は何人いるのだろうか。
道に迷って困っている人に声をかけられる人は何人いるのだろうか。

…少なくとも今の私には無理だと思った。

今の自分の状況、そしてこの環境を理解した時、大きな気持ちが湧き上がってきた。

それは怒りだった。
自分自身への。この世界への。

それは力だった。
自分自身を変えるための。世界を変えるための。

私は自分自身を変えるために、そしてこの世界を変えるために、考えることを始めた。

我々は何故バリアを貼るのか

私は考え始めた。
我々は何故バリアを貼るのだろうか?
我々は何故助けを求める人にかけ寄れないのだろうか?

時間が無いから?
お金が無いから?
余裕が無いから?

我々は他の人にまで気を配る余裕が無い。時間もお金も十分ではないのだ。


では、我々は卑劣な人間なのだろうか?余裕のない我々は誰にも優しく出来ず、愛のない人生を生きているのだろうか?、それは違う。

誰にでも人に優しくした経験はあるはずだ。多かれ少なかれ無意識にリスペクトし、愛を込めて、親切にしてる人間がいるはずだ。その人間を人は「友達」とよぶ。

そう、我々は「友達」ならば例え隣で倒れてもすぐに駆け寄るはずだ。周りに助けを求めるはずだ。
我々は「友達」ならば例え彼ら彼女らが道に迷って困っている素振りを見せたなら、丁寧に道を教えるはずだ。

「友達」ならば自分自身の余裕の有無は大きな障壁にはならないはずなのだ。

では何故、我々は「友達」以外……つまり「他人」にはバリアを張ってしまうのか、優しくなれないのか。

それはまさに「友達」でないからである。
裏を返せば「他人とは素性のわからない人間である」からである。
目の前にいる他人はどんな人間か分からない。もしかしたら短気な老人かもしれない。もしかしたら今悪い事を考えてる人間かもしれない。

それはリスクだ。
素性のわからない他人に接するのは、自分自身が辛い思いをする可能性がある、リスクなのだ。

……ここまで考えたらあとは簡単だった。
私がやる事は定まった。
やることは1つ。

「友達」という概念を消してやる。

これが私の考える世界平和だった。
バリアを消す方法だった。
「help」を求める人を助ける方法だった。
人と人の心の距離を近づける方法だった。

「他人」に優しくできないならば、「他人」を全て、優しくできるであろう「友達」という存在に変えてしまえばいい。

本当にそれだけだ。
簡単な事。

私は「友達を消す」為に動き出した。

続く

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