「移動」

 普段身の回りの素材で作品を作るという方法を行なっているので、生活と制作が一連の流れになっていたりする。だから外国で制作する場合も基本的には同じはずであるが、様々な理由でどうしても日本でしか手に入らないものや、現地で制作することが困難だと思われるものがある。今回の渡航はいつもに増して、郵送物が多かった。
 5月中旬、2月末に山梨から船便で送った荷物がベルリンの税関に届いたと連絡が来た。通常1〜2ヶ月かかるという船便であるが、コロナの影響で荷物の運搬が滞っていた。その間、大量に送ってしまった荷物のことで、ドイツの税関、美術施設、日本の郵便局と電話やメールでやりとりを行なっていた。あれこれと対策をしようとしたが、結局、ベルリンの税関に届いた荷物は、受取人である私が今いる日本に航空便で送り返されることとなり、憂鬱な気分に打ちのめされた。荷物が、地球上のどこかを移動している間、ぶつける宛のない怒りを持て余していたが、地元の郵便局に戻った荷物を手にした時は、溜まっていた不満がどこかに消え、不思議と安堵感に満たされた。
 現在住んでいる神奈川県から山梨県にある実家に帰省する際は、八王子から中央道や中央線で西に進み甲府に向かう。私は2時間ほどのこの移動が、実家に戻るための儀式か何かに感じることがある。車を走らせ窓から見えるものはそれぞれ遠近感の違う山々である。季節や天候によって表情は変わるが、山々を見ると体全身の細胞が再生されていく感じがすることはいつも変わらない。コロナの影響で自宅に引きこもりがちだったこともあり、子供の頃からずっと見てきた山々の風景が特に体に染みた。それから山と人の関係が気になり、久しぶりに考古学博物館を訪れた。そこでは縄文時代の土器や甕、鏃などが展示されていた。出土した縄文時代の欠片は、縄文人という生命体自身を想像させる。四方に広がる山々と縄文人の痕跡は、10,000年ほど後に生まれた私という一つの生命体をも活気付けてくれた。
 もしも、コロナウイルス感染が拡大し始めた時に、1日だけ早く日本を出発していたら、自分の体も荷物も無事ドイツに入国できていただろう。今頃ベルリンの壁を見学しながら、どんな壁にぶち当たり何を考えながら制作していただろうか。
現実は、このコロナ禍のせいで国境を越えることができずに経済的、精神的に打撃を受けた。しかしその結果、地元の見慣れたはずの山々の風景に勇気付けられることとなり、私の中で絡まっていたものが解け、流れ始めるのを感じつつ、今、制作している。この流れは、どこに続くだろうか。

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