「隔離」

 帰国してからは、2週間主に自宅兼アトリエで自主隔離を行った。私のアトリエは、制作場所の他に、生活にまつわる活動を行う3畳ほどのスペースが付いている。この狭いスペースに一人でいると、妄想と現実の区別がなかなか難しくなってくる。携帯で情報集めをしていると、文字が口を持ち始め、体を持ち、私に向かって話しかけてくるように感じた。また、日中に体験談や日々のメモを書いていると、目がトロンとして、白昼夢を見ているように感じた。空想の中の自分の動作は、温度や感覚を確かに伴っているので、自分には妄想であるということを意識することが難しい。寝ているのか起きているのか区別が難しい日々が続くと、次は数日間目が冴えっぱなしの日が続く。お腹も空かない、眠くない、頭は今までに経験したことのないほどクリアであり、疲れることはなく、活力にみなぎっている。このような特殊な体調はいつ発症するか自分でコントロールすることができず、人間の弱さを再確認すると共に体とマインドについての不思議さを思わざるを得ない体験であった。
 私が隔離状態の中の経験した体の感覚、妄想の感覚は、どちらも実感の伴うものであったと言いたい。そこでReal、realityとはなんであろうかと疑問が横切る。最近、オンラインで滞在予定であったレジデンスメンバーとの交流が始まった。Virtualをweblioで検索してみると、(表面または名目上はそうではないが)事実上の、実質上の、実際(上)の、虚像の、と出る。「実質上」と「虚像」という意味合いが同時に含まれているややこしさが面白い。海外での滞在制作体験の一部を日本にいながら行う試みは、どのようなrealityを持った展開ができるだろうか。また、いながらでしか体験できない部分をオンライン上ではどのように補うことができるのだろうか。何れにせよ、私にとって隔離期間は、自分の体をより観察できる良い機会となった。

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