過ぎたるは猶及ばざるが如し。

最近執筆活動の合間に副業で派遣の軽作業をやってる。

明らかに昔の自分と違う事に気付いた。

昔は単調にこなし、機械的だった自分が今はその単調さにプチ楽しみを見つけ、工夫し、どうにか楽しいものに落とし込もうとしているのが実感する。。

底辺の労働や、日銭思考や、同じ属性、コンテクストと人種が「然るべき場」には収束してるのはわかる。

ただ職業に貴賤はなく。自分の身の程をわきまえ仕事だからキチンとやる。

ところで

なぜ読書をするのか?

地頭を鍛えて何をするのか?

わからない。ただ肉体が死滅した後も精神的有形遺産を残したい。洗練された物を生産すれば必ず評価してくれる人がいるはずだ。時代は多様化だし。機会の平等も昔よりはあると思う。

本を読み、思索を繰り返し、だいぶ込み入った世の中が浅薄ながらわかってきた。

優秀な学者ははるか上空からより正確に世界を説明してる。俺もそうなりたい。俺の本のターゲッティング読者層は権威だ。ビジネス第一ではない。彼らのフィルターを通過できる良書を書き続け、人類の為にはるか上から俺の本をトリクルダウンさせる。

思考は言語や身体に引っ張られるから気をつけてる。

学芸に触れないのは「関心」やどうしてもという「好奇心」や「欲」がないだけ。

公共財は整備されていて、そのための時間は創り出せるものだからだ。

良き媒体を選択し、摂取し、表現したい。

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