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言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十五)丸山健二

 この三百五十坪の敷地は、母親が実家から分け与えられたリンゴ園の跡地です。
 ところが、こんな辺鄙なところでは利用価値がゼロに等しく、長年ほったらかしにされた結果として全体がススキに埋め尽くされ、要するに荒れ地の典型と化しました。
 食材が豊かになるにつれてリンゴの需要は減ってゆき、さらには後継者不足が祟って、見捨てられた農地が増えていったのです。そうした時代の流れに取り残されてしまったこの地は、あげくの果てに若き貧乏作家の住処となったのですが、だからといって気に入って移り住んだわけではありません。ひとえに資金不足のせいで、ほかに行き場がなかったからという、かなり後ろ向きの決断でした。
 後日、知人から聞かされた話では、私が犯罪者となって親戚中に迷惑を掛けないよう、ここで豚の飼育の仕事をさせる算段だったようです。もしそれが本当だとすれば、動物相手では一年を通じて休めないので悪事を働く暇がないと考えたのでしょうか。真偽のほどはともかく、結果としては役に立ったのですから、まあ、よしとしておきましょう。
 養豚業ではなく執筆業の拠点となったからといって、この三百五十坪が必ずしも喜んでいるとはとても思えません。なぜとならば、住人が典型的な文学青年ではなく、ために、静かで穏やかな空間とは正反対の、単気筒ツーサイクルエンジンが鳴り響くオフロードバイクの溜まり場と化したからです。地元の警察が幾度か偵察にやってきました。
 そうはいっても、正直、今にして思うと、書斎に籠もる暮らしなど私のような者には不向きもいいところでした。激しい行動に駆り立てられて止まない性格の持ち主にとって、田舎での隠遁暮らしというイメージに付き纏う静かな生活は実行不可能で、多大な精神的苦痛を伴う印象でしかあり得ません。
 そんな私だったのですが、小鳥や大型犬の飼育、野鯉釣り、そして現在は庭造りと、年齢を重ねるにつれておとなしい趣味へと移行し、文学に携わる者としてようやくそれらしく見えないこともない立場に落ち着いたかのようです。
 自分ではそう理解しているのですが、しかし他人にはそう見えないらしく、猛烈な勢いで庭仕事に励み、凄まじい勢いで画期的な新作へと果敢に挑みつづける私のどこにも風流やら俗離れを感じていないようです。
 いずれにしても、こんな虻蜂取らずのところが落ちなんでしょう。
 
「本当は何がやりたかったのかね?」と尋ねたのは、河原から運んできた庭石です。
 
「その人生に心から満足しているのかね?」と訊いたのは、抜き損ねたススキです。

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