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言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十二)丸山健二

 冬期の渡り鳥であるレンジャクが群れをなして飛んできた際に、美しい姿のかれらが粘着性の強い糞といっしょに種を落としたに違いありません。
 そして時が経ち、ヤドリギがイタヤカエデの枝のそこかしこから芽を出したのです。気づいたときにはもうほぼ占領されていることが、晩秋に葉が落ちて樹形が丸裸になって初めて判明しました。
 しかしながら、その時点ではさほど気に留めていませんでした。敵が小さ過ぎて、さほどの影響はないだろうと高をくくっていたからです。現に、黄色い実をいっぱいにつけるヤドリギの風情にはそれなりの美が感じられ、「こういうのもまたいいよな」などと粋人気取りの言葉を吐きながら、数年後には危機感を覚えるに至ったのです。
 養分をちっぽけな侵略者どもに吸い取られた大樹がみるみる勢いを失ってゆき、太い枝が一本ずつ枯れ始め、全体としての惨めったらしさがどんどん募り、さりとて高さのせいで手の施しようがなく、ほったらかしにしているうちに着生した自身までもが衰弱の一途を辿り、突風が吹くたびに落下するまでになりました。
 それにしてもヤドリギはなんたる生涯を送るのでしょう。鳥の餌として種子を運ばせて、排せつ作用を利用してほかの木に寄生し、付けた実をまた鳥に運ばせ、そのくり返しによって仲間をどんどん増やしてゆくのです。
 幸いなことに犠牲者はその木一本だけでした。
 憑りつかれたイタヤカエデはまだ完全に枯死したわけではありませんが、時間の問題でしょう。併せて、絡ませておいたワイルド系の白い蔓バラの寿命も定まりました。動物もそうですが、植物もまた激しい闘争の世界を日々潜り抜けているのです。
 闘いは生を授かった者たちの宿命なのでしょう。道理でこの世から侵略戦争が消えて無くならないわけです。これが天の裁きに従う道でしょうか。そうではないと願いたいのですが、この惑星を占める現実ときたら、残念ながらこのありさまです。
 因みに、個体差に富んだヤドリギを鉢に植えたり地植えにしたりして楽しむマニアがいます。かれらのあいだではかなりの高額で取引されていると聞きました。そこで欲の皮を突っ張って移植を試しましたが、方法が間違っていたのか、さもなければ儲けようという性根が腐っていたのか、成功はしませんでした。
 
 
「自分がヤドリギではないと断言できるのか?」という質問が飛ばされました。
 
 そう偉そうに訊いたもうひとりの私に向かって、「おまえこそこの俺のヤドリギではないか」と言い返してやりました。

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