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となりのヤクザさん
ふとした時に、昔の記憶がフラッシュバックすることはありませんか。
今日はその話。
私が育ったのは、古い木造の、家族6人で暮らすにはどう見ても手狭としか言いようがない、小さな一軒家でした。
その隣に、いわゆる今でいう反社会的勢力の方が一家で住んでいました。
隣のおじさんはいつもお酒を飲んでいて、気分がいいときは何も起こりませんが、ちょっと虫の居所が悪いと、
「うるせえ!」と窓越しに怒鳴ってくる人でした。
雪の日には、窓から雪を投げ入れられて、畳がびしょびしょになることもありました。
大人たちは「困るわねぇ」とか何とか言っていたのかもしれませんが、
当時、昭和から平成の初期に変わる頃は、なんというか、そういうもの、みたいな空気もあって、
特段それを公に問題にすることもなく、「ちょっと困った隣人」という風に処理されていたように思います。
私たち子どもたちも、隣からヤジが飛んできたら、「あっ今日はご機嫌わるいぞ」って感じで、しっと指を立てて声を潜め、
ほとぼりが冷めたらまた騒ぎ始める、という具合でした。
お伝え忘れていましたが、私が育ったのは、
神奈川県は川崎市というところです。
川崎市は今や人口150万に届くかという大都市で、
駅前は綺麗に整備され、都心にも近い立地が好まれたのか、
昔は何もなかったような場所にもタワマンがたくさん建ち並んでいます。
川崎市というのは、東西に細長い形をしており、
私が育ったのはその中でも海に近く、重工業で栄えた川崎区です。
私の祖父母は沖縄出身であり、沖縄戦のあと、いろんな事情で内地(本州)に移り住んできた人たちです。
祖父が造船所で働いていたこともあり、親類を頼って川崎に流れ着いたのが、家族の川崎の歴史の始まりでした。
さて、隣のおじさんですが、娘さんが1人いました。
名前を仮に「まみちゃん」とします。
まみちゃんは優しいお姉さんで、子どもの頃は時々遊んでくれたりしました。
そんなまみちゃんが高校生になりました。
いつの頃からか、かつては遊んでくれていたまみちゃんを、とんと見かけなくなっていました。
地域柄、中学生くらいになると分岐を迎えます。
どうしてもまみちゃんのお父さんのような稼業の方も多い地域ですので、
そのくらいの年齢になると、その方向に引っ張られてしまう子が多いのです。
今は変わったかもしれませんが、少なくともその頃はそうでした。
久しぶりに見かけたまみちゃんは、
すっかり大人のお姉さんになっていて、高校の制服を着ていました。
地面につくのではないかと思うくらい長いスカートに、セーラー服の赤いスカーフを胸に結んでいました。
長いスカートに赤いリボン、まるでドレスのよう。
そのスカートの意味も分からなかった私は思わず、
「かわいい・・・」と言いました。
優しかったまみちゃんは、すっかり大人の女性になっていて、
私の言葉は聞こえたはずだけど、地面のほうをずっと見て、
何も言わずにぷいっと出かけていきました。
そのあと何度か制服姿のまみちゃんを見たけど、
それ以後もう家の近所で見かけることはありませんでした。
そんなことがふと頭に浮かんだ今日。
まみちゃん、元気だといいな。
おじさんとの思い出もあります。
(虫が苦手な方ちょっと閲覧注意)
十中八九酔っぱらっていたので、
その日も酔っぱらっていたのだと思います。
普段は外で会っても、挨拶も返してくれないのだけど、
なぜかその日は「みくちゃん」と話しかけてきました。
おじさんに話しかけられたことは記憶の限りないので、ちょっと嬉しかったことを覚えています。
「みくちゃん、おじさんちにおもしろいものあるから、見せてあげるよ、おいで」と。
あぁこれ今書いていて思いましたが、子どもがついていっちゃだめなNGワードのお手本みたいなセリフですね。
でもおじさんは怖いときもあるけど、悪い人じゃない、というか、そこまで度胸がある人じゃない、というのも子供心になんとなく分かっていました。
なんでも時代で片づけるのもどうかと思うけど、
その頃って近所みんなで子育てしているというか、核家族の超初期段階というのか、
当然のように誰かが見ていてくれていて、どんな人でも一応対等に「ご近所さん」として付き合う、という風潮がまだ残っていました。
だから殊更におじさんだけを異端として扱うこともしないし、
変なことしたら近所の人から普通にめちゃくちゃ怒られる、というのもあったので、
そんなに警戒もせずに、のこのこおじさんの家に上がっていきました。
昼間だったので、家にはおじさんの奥さんのおばさんもいるし、というのもあったかな。(おばさんは普通の人です)
初めて家に上げてもらった、仲良くしてくれている・・・!という高揚感で、嬉しくて堪らなかったです(バカ)。
おじさんがいう「おもしろいもの」は、一升瓶に入っていました。
一升瓶にはラップが巻かれていて、空気穴がいくつか空いていました。
「みくちゃん、おじさんがこの中で何飼ってるか知ってる?」
何か虫を飼ってるんだ!
今も昆虫が大好きですが、
好きなのはその頃からだったんでしょうね。
完全に舞い上がりました。
なんだろう、私も飼いたい!(まだ見てないのに)
「おじさんはね、この中でゴキ〇リを飼ってるんだ」
と言いました。
そしてラップを留めていた輪ゴムを外すと、中から黒い小さい虫が何匹が出てきました。
今思い起こせば、多分嘘です。
だってゴキ〇リは一升瓶の口に入る大きさじゃない。
おそらくですが、あればコオロギです。
おじさんは私を怖がらせようと思って、きゃーーーーとでも言うと思って、
ちょっとしたいたずら心で飼っていたコオロギを見せてきたんだと思います。
でも私は、「ゴキ〇リって家で飼えるんだぁ」とかまったく見当違いのことを思っていたので、
わらわらと一升瓶から這い出てくるそのモドキをしげしげと眺めていました。
一升瓶のこともよく分かっていないので、とにかくこういう瓶があれば虫が飼えるんだ、ということにいたく感動して、
一つ賢くなったぞ、という気持ちでした。
大満足した私は、おじさんにお礼を言って、家に帰りました。
その時のいきさつは親にも話したはずだけど、特におおごとにはならなかったので、
ふーん、遊んでもらったんだ、良かったね
くらいのことだったんだと思います。
それからおじさんが私を家に呼んでくれることも、
「おもしろいもの」を見せてくれることも
一度もありませんでした。
おじさんは多分お酒の飲みすぎで、割と早くに亡くなりました。
時々思い出しては、
どんな人生だったのかな、隣にいたのに知らないことばっかりだったなと。
私としては、時間がたった今となっては、
遊んでくれてありがとうね、と
言いたいです。
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