「夢を叶えた人の話」に効果はあるのか?
今回の放送で「失敗が怖い」みたいな相談をしてくれた男子大学生がいた。
自分の進路について「保証がない」「確実性がない」「なんとなく不安」って話だ。
彼の話で、伝わってくるのは「なるべく失敗のリスクを減らしたい」事。
もしくは「リスクのない道に進みたい」という事だった。
観覧に来ていた「人生の先輩達」は「そういう時期もあったなあ」なんて顔で暖かくその若者を見ていた。
そもそも「何の失敗のない人生」なんてものはこの世には存在しない。
何もしなければ失敗は避けられるかもしれないけど「何もしない」という人生を送ってしまった事が「失敗」だと思う。
10代、20代の時期は周りは「深い霧」みたいなもんで、不安なのもよくわかる。
おまけに自分のDNAは「生き残れ」「繁殖しろ(モテろ)」と常に命令を出してくる。
冒険したいけど、周りは深い霧なのだ。
不安なのはわかるし、リスクを最小限に減らしたいのも当然だと思う。
とは言え、この相談を受けているのは僕と森沢明夫先生だ。
「漫画家」と「小説家」なのだ。リスクの事なんか考えてたらやっていけない仕事で生きてる。
彼のように、将来のリスクを真剣に考えるような知性があったら、僕らは好きなことをやってられなかったろう。
確率論なんか引っ張り出したら、成功率0,1%とかいう漫画家やら小説家なんかを目指す人間は、先のことをを考えられない「アホ」でしかない。
つまり、僕らは「アホ」だったから幸せになれたのだ。
その状況が可笑しくて、放送ではつい笑ってしまった。
とはいえ。
この問題、そう単純ではない。
「成功した人が言ってるんだから、意味がない」
という意見も昔からある。
【たまたま上手くいった人の話は参考にならない?】
昔の僕は「ある程度のことは努力で解決できる」なんて信じていた。
なので、漫画家志望の友人に「限界まで努力しないとわからない」とか「君が100作描いてから話をしよう」なんて、恐ろしい事を言ってた。
なぜ「恐ろしいか」と言えば、そもそもこの「努力」ってのが、あてにはならないからだ。
前にもこのメルマガで書いたけれど、同じような努力をしても、全く報われない人はいる。
そもそも「時代」ってのが自分に合ってないと話にならないし、才能を引き出してくれる「出会い」や創作の時間や場所を確保するための「環境」もいる。
ほとんどの場合「最大限の努力は当然」で「あとは運」という事になる。
なんとも不公平だし、不確定だし、うんざりする。
ともかく夢を持った人達の選択は2つ。
「無駄な努力に終わるかもしれないけど、自分に賭けて努力する」か。
「無駄な努力はしないで、諦める」かだ。
(ちなみにここで言う「努力」は「挑戦」とほぼ同義である)
【努力したけどダメだった人達】
つまり「夢」を持った人達の人生は、4つの種類に分かれる。
A 努力(挑戦)して成功した人
B 努力(挑戦)して失敗した人
C 努力(挑戦)しないで成功した人
D 努力(挑戦)しないで失敗した人
僕が取材してきた実感では、「Cの人」は、ほとんどいなかった。
成功者は基本的に、物凄い努力をしていて、努力しないで成功した人の多くは、早々と消えるか、成功の後に努力する羽目になっている。
この辺の話は、学校なんかでは語られることがあまりないと思うけど、ここでいうBの「夢を追って、努力して、成功しなかった人」が「みんな不幸になったのか?」というと、そんな事はない。
平均以上に自殺するわけではないし、ホームレスにもならない。
多くの人が「最初の夢」が叶わなくても、何らかの「別な夢」に出会ってたりしている。
「あっち」は出来なかったけど「こっち」はできるじゃん。
みたいな人生が待っているのだ。
しかも、何かに挑戦したことから生まれる「自信」と「余裕」の効果は想像以上に大きい。
僕の友人には(世間的には)Bの「努力して失敗した」人が何人かいる。
でもそのほとんどが、まだ「失敗した」とは思っておらず、「どうにかなる」と思っている。
こういう人間はみんな懐が深くて魅力的で、なんか明るい。
問題はDの「努力しないで失敗した人達」だろう。
Dの「きっと失敗するから、はじめから何もやらない」という選択をした人は、当然ながら成功もしないし、失敗もしない。
このタイプにとって「挑戦する人」は「失敗」してもらわないと困る。
自分の人生を否定された感じになるからだ。
なので、成功した人がいた場合、「その人はとんでもない才能を持っていた」とか「とてつもなく運が良かった」という事にしたくなる。
【現実的選択は?】
夢の種類にもよるけど、実際の所「成功する人」が、わずか数%なのであれば、夢を抱いた国民のほとんどが「BかD」の人生になる。
「努力した失敗者」か「何もしなかった失敗者」だ。
この国は失敗した人に厳しい。
なので後者の「何もしなかった派」がかなり多い。
この人達が総じて「夢を追う若者」を冷笑しているわけだ。
とりあえずやれるだけの努力をした大人は、夢を追う若者を冷笑しない。
「厳しいもんだよ」とは言うかもしれないけど、否定はしないだろう。
「無駄な努力だ」と言う人は、ほとんどがその「努力」を放棄してきた人だったりする。
幸せなのは「やるだけやった人」であるのは間違いない。
今回、相談を受けていたのは、たまたま夢を叶えられた「漫画家と小説家」だったけど、僕らがすぐに成功したかというと、そうではない。
何回か書いたと思うけど、僕はデビューまでに10回くらい落選して、ヒットが出るまで5回くらい連載を打ち切られているし、森沢先生は「ほとんどホームレス」だった人だ。
もしも僕らが成功していなくても、今回の相談者への回答は同じで「やったほうがいいよ」と言っていただろう。
やったら何かが見つかるし、やるだけやれば「明るい人」になれる。
それだけでも努力は報われてると思う。
【まだ間に合う?】
学生でなくても、若くなくても、「挑戦できる事」はある。
この国は「新卒神話」がまだあって、人生の選択は「学校を卒業する時に決めなければならない」と思わされてる人が多いけど、別にそんな事はない。
若い時期には挑戦する環境が整ってなかったりすることもあるのだ。
それに「ミュージシャンになって大ヒットを飛ばす」とか力まなくても、曲を作って配信したり、ライブをするくらいはできる。
ヒットするかどうかは「運」にまかせるしかないけど、そこまではできる。
漫画もアニメも和凧も作れるし、イースター島やマチュピチュにも頑張れば行ける。
「本当はやりたかったこと」を「失敗のリスク」であきらめてた人は、小さな夢でもいいから挑戦したらいいと思う。
「挑戦してみた」という経験はそれだけで「成功」なのだ。
挑戦する人を応援できるようになる。
明るく、自信もつく。
そして人は簡単には死なない。
(山田玲司のヤングサンデーメルマガより)
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