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「論破」をしても不幸になる人

世の中には「理屈人間」という人達がいる。

おそらくは僕もその1人だと思うけど、この「理屈人間」には面倒な人が多い。

おまけに「自分は論理的思考で理性主義者だ」みたいに思っている割に感情的になる人も多い。

もちろん「私は感情のまま生きているの!」みたいな人も面倒ではあるけど、少なくとも「議論」という戦いにはならない。

ところが「感情的になる理屈人間」というタイプは扱いが大変だ。

何しろ「お前は間違っている」から始まって「すみませんでした、あなたが正しいです」と言わせることがゴール、という設定で挑んでくるもんだから、もはや「対話」ではなく「対決」だ。

そういうタイプの人にとって「論破」は勝利であり、目的だ。

僕はこういう「勝ち負けの議論」が苦手だ。

論破戦士の人は、途中で「なるほど、そういう考えもあるのか」なんて思っても、負けるわけにはいかないから、とにかく相手を全面否定する。

自分の論理に多少の「穴」がある事に気づいてもお構いなしに「間違っているのはお前だ!」なんてやるのだ。

最終的に相手が負けてあげないと「終わらない人」なんかも多い。
それで「俺たち分かり合えたな」なんてなればいいけど、そんな事を言うのは大概「勝った理屈人間」だ。

負かされた人が「そうだね」とか「勉強になりました」なんて言ってても、後味は悪いし、心を閉じるだろう。

【論破された人の気持ち】

僕もかつてはそんな事をやりがちだった。
特に恋人との間ではそれが多発していた。
「僕は正しい議論」を彼女に向かってやっていたのだ。

そして彼女を論破しては「女は感情で生きているから何もわかってないよな」なんて思っていたのだから、本当にバカだ。

当然、その時の自分が「理屈で勝った」からと言って、その後の2人が幸せになるかと言えば、そんな事はない。

議論で勝つために「相手の気持ち」やら「そういう考えに至った経緯」なんかを無視して、自分が信じ込んでいる理論で畳み掛けるものだから、相手にとっては「理屈はわかるけど、何かムカつく」となる。

そんなこんなで議論は終わり、2人の間は「嫌な空気」になる。
そこでいくら「だから女は・・」なんて言っても、幸せにはなれない。

そもそも人間関係に「正しさ」は大して重要じゃないのだ。

お互いの「考え」を並べて2人で「最善の策」を探すなら、その先に「幸せ」があるかもしれない。

相手を「論破」するのでは「幸せ」にはなれないのだ。

どんなに自分が正しくても。

【機動隊の気持ち】

絶望に効くクスリの取材では「60年代に学生運動をしていた人」に何人も会った。
その時、印象的だったのは「僕らは自分達が正しいをばかり言っていて、目の前の機動隊の人の気持ちなんか考えてもいなかった」という言葉だ。

長く「自然保護活動」をしてきた田中優さんも「論破」なんかしない。
具体的な選択肢を並べてニコニコ笑っているのだ。

激しい「闘争」を経てたどり着くのは「相手を知ること」だと言う。

【わからんのだ】

そうは言っても、自分の人生で苦労して掴み取った「考え」を、簡単に譲る気にはならない人もいる。
「相手がバカなのだから仕方ない」とか「ぶつからないなんて物足りない」という人もいるだろう。

組織の中で決定権を持つ人を説得しないと動けない時なんかにも「論破」が必要だと思ってしまう。

それでも僕は「論破」は危険だと思う。
「わかって欲しい時」は、まずは相手の言い分を聞くところから始めるしかないのだ。

相手の言い分も聞かずに、自分の考えを押し付けてくる人は、相手にされなくなるだけなのだ。

突き詰めて行けば、あらゆる意見が「曖昧」で「流動的」だとわかる。
「正しいかどうか?」という考え方それ自体「信憑性が無い」のだ。

死ぬほど考えてきた「哲学の巨人」の多くが、最後は「わからんもんだね」なんて言っている。
あえて「正しい事」とは何かを定義するなら「双方が可能な限り幸せになれる選択」なのだと思う。

論破した時の「自分は賢い」という、一瞬の「快感」

そのために、周りを不幸にするのは、結果的に自分も不幸にしてしまう。

それより一緒に「いい方法」を考えたほうがいいし、そっちの方が「自分の方が正しいバトル」より案外難しいし、レベルの高い解決法なのだ。

小学校ではこういう事を優先に教えたいものです。


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漫画家です。ツイッター@yamadareiji 絶望に効く薬、ゼブラーマン、アリエネ、非属の才能、CICADA、資本主義卒業試験、キラークエスチョン、Bバージン、agapes、『モテない女は罪である、ニコ生チャンネルヤングサンデー http://yamada-reiji.com/

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「心の痛み」と「世界の生きづらさ」を取り除く
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  • 827本

イタリアのデザイン集団『アーキズーム』の共同創設者マッシモ・モロッツィは、性質の相反する素材を組み合わせて「矛盾」に満ちた世界観を体現する製品を数多く生み出した工業デザイナーだった。 そんな彼の言を待つまでもなく、この世界の真理は常に「理不尽」であり、公平かつ公正な世界などというものも我々人類の身勝手な幻想にすぎない。 我々は進化の過程で知性を獲得した時からずっと、無知や恐怖によって自他の心を縛りつけ、あるいは誰かを傷つけてきた。 人類の歴史とは矛盾や理不尽との斗いそのもの、そして互いを傷つけ合う負の感情の連鎖=「怒りのキャッチボール」の歴史に他ならない。 ならば我々は今こそ、その繰り返される悲劇に終止符を打とう。 欲望や期待に縛られ、不公平な現実を呪い、負の感情を周囲にぶつけるのではなく、矛盾や理不尽を許容し、征服より共存を、闘争より共感を、一元的な世界よりも多様な世界を目指すのだ。

コメント (15)
論破して嬉しい人はロンパールームで遊びましょ。
私は論破の試みをやってみたことがあります。
論破する/論破できない とはどんなものなのだろうかという興味からです。
それで相手がどう思ったかは全く分かりませんが、やっていて阿呆らしく感じました。
自分が阿呆らしいと思うことはしないことです。
でもどうでしょう?結果として完膚無きに論破していることはあるかもしれません、知らんけど。
その人と人とひと時をを楽しみたいでなければ一番それをぶち壊すのが論破。まあ論破というのほど無用なばかげたものはないですね。。
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